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チック・コリア [Jazz]


なんか 結構達郎さん関連で引っ張っちゃっているけど、


昔話に限定したら、まぁまぁ音楽の思い出話は結構あるんです。


今回の達郎さんのコンサートでは、アンコールの時以外は一度もスタンディングしなかった。


まぁ~過去にも前が見えなくなるし周りに釣られて、まぁ~立とうかって感じでスタンディングはしてきた。


以前の達郎さんのコンサートの時の二階席だった時に、女性が中盤以降のお決まり曲じゃない時にスタンディングして、後ろの人から見えないと注意されているやり取りを見た事があった。


自分も正直言って殆ど双眼鏡で観ている派なので立たれるとやっぱり嫌だな と思うけど、こればかりは座ってくれと強制出来るものじゃないし、雰囲気を考えれば立ちたい人の気持ちも分からないではない。


まぁ~だから達郎さんの場合は暗黙の了解で立っても良い場面(曲)が決まっているような感じなんだけど、


そんなこと言ってたら、ロックコンサートはどうすんの?って感じで、二年前の初めてのロックコンサートの、やっと観たパープルのコンサートではいきなりオープニングからみんな周りはスタンディングだったので、自分も立ってしまったし


周りはオヤジばかり、そしてメンバーも年上で「意地でも絶対座っちゃいかん!」って雰囲気だったので、自分もなんか座っちゃうと同世代の中で負け組になってしまうと言う妙な感覚になりそうだったので、最後まで立っていたことがある(勿論、初めての経験だったが)お陰で腰が痛くなってしまったw


それを思うと達郎さんのコンサートは座りっぱなしでかなり楽だった印象だw


まぁ過去のコンサートでも周りの様子を見ながらスタンディングすると言う感じだったし、先に書いたようにミュージシャンのメンバーに叫んだとしても余り目立つようなことも出来ないタイプだったので、率先してスタンディングするという事はなかったのだが、一度だけ誰よりも先にスタンディングして「ブラヴォー」と叫んだことがある。


それはLAでの有名なクラブ「ロキシー・シアター」での、チック・コリアのステージを観た時だった。

Chick Corea.jpg



フランク・ザッパとかジョージ・ベンソンとかのライヴ盤でも有名なクラブ「ロキシー」、LAのサンセット・ストリップだったかな(すぐ近くにあの伝説の「ウィスキー・ア・ゴーゴー」もあった)、自分が泊まったホテルから結構あったのだが下見の時は歩いて見に行っていたし、タワーレコードの横辺りだったので分かりやすい場所だったから、コリアのステージがあると下見をした時に店で告知をしていたので観に行こうと決めていた。


自分が行った旅行はフリーツアーだったのだが、NYの時からツアー客同士で知り合いになっていた大学生とLAのモーテルでも偶々一緒のホテルに泊まっていたので(全部それぞれ個人で自由にホテルの宿泊先も決めて、NYからの移動も個人でそれぞれで決めて好きな時に移動するシステムのツアーだった)彼らは自分みたく音楽目的でアメリカ旅行に来た訳ではなかったのだがコンサートを一緒に観に行った。


何か改めて「ロキシー・シアター」をネットで調べたら、ロック系で有名なクラブとなっているみたいだが、当時はジャズ系のステージも多かったと思うし、(ニューブルーノートのオールスターのライヴ盤も出ているくらいだ)まぁ~色んなアーティストが当時はすでにメジャーなアーティストや有名になりかけのアーティストが出ていたと思う。

Roxy Theatre.jpg


そんな訳で、チック・コリアのステージを観た。当時は丁度アルバム「タップ・ステップ」が出た時で、そのアルバムナンバー中心の構成のステージだった。

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メンバーはコリア、奥様のキーボードプレイヤーとヴォーカルのゲイル・モラーン、ドラムのトム・ブレックライン、ベースのバニー・ブルネル、トランペットのアル・ヴィズッティ、パーカッションがドン・アライアスだったと思ったし、サックスにジョー・ファレルがいたかなぁ なんかこの二人だけ記憶が曖昧だ。

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コリアを観たのは勿論この時が初めてだったのだが、とにかくベースのバニーのプレイが凄くて強く印象に残っている。


ジャコ・パストリアスの二番煎じとも言われた、フレットレスベースを駆使して弾くバニーのプレイスタイルはジャコと一緒なのだが、ジャコよりもウッドベースのように縦にベースを構えて弾くスタイルは全然ジャコとは似てなかった。


コリアをリーダーとしたメンバーの一体感、そしてこのバニーのプレイ、クラブでの演奏だけあって、もう間近で音を聴いて演奏が観られて、もう迫力満点で本当に心から感動して、エンディングの方で真っ先に立ってスタンディングオベーションをしてしまった!


今までで一番感動したコンサートのステージはこの時だったかもしれない。


フランス人のバニーはそのコリアとの活動の後どうなっていたのか全然分からなかったが、調べてみたら渡辺香津美とやっていたみたいだし、自分が2001年以降にPCを保有した時にネットで、同郷のよしみか、あのミッシェル・ポルナレフのバックでベースを弾いている記事を見た事があった。


いずれにしても凄いプレイで印象に残っているベーシストだった。


勿論、コリアのプレイもモラーンの歌声も、トムのドラムも印象に残っていて素晴らしかったのだが、とにかくバニーの事が1番記憶に残っている。


この時の旅行でアメリカには1か月居たのだが、結局LAでは音楽ステージを観たのはNYの時と全然違ってこれだけだったのだが、NYはとにかく目的が音楽だったので音楽三昧の日々だった。NYでの出来事は又追って書こう





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アレサ・フランクリン [Soul]

 

とうとう、この日が来てしまった


続けてブログを書いて投稿している時に訃報が入ってきた。


アレサの訃報を聞いてブログに書く人も結構いると思うけど、自分も書いておきたい


アレサへの思いはソウル女性シンガーで言えば、自分は一番強かったかもしれない。


CDとレコードでダブりも含めたら、ベスト盤も入れてアルバム40枚くらい揃えて持っている。


デビュー時のジャズっぽいレイ・ブライアント・トリオのアルバムを含んだコロンビア・レーベルでのアルバムはかなり後から買ったけど、アトランティック時代のアルバムは70年代の2枚だけ持ってないのがあるが、あとは全て持っている。アリスタ時代は7枚かな


アレサは60年代半ば以降にアトランティックに行ってから売れ始めて、ソウルの女王としてのポジションを確立していくのだけど、自分としてはやっぱり70年代の時代の時の方がピンと来るし好きな曲も多い


アルバム「Live at Fillmore West」は名盤だと思うけど、やっぱりゴスペル色が強いアルバムだ。「Young, Gifted and Black」もゴスペル色が強いアルバムだけど、その中の「デイ・ドリーミン」がたまらなく好きだ。


彼女の曲で1番好きな曲と言っていいほどで、もうイントロからの浮揚感漂うダニー・ハザウェイのエレピ、そしてこの曲に欠かせない効果を生んでいるヒューバート・ロウズのフルート、パーディのリムショットのリズムとレイニーのベース、デュプリーのギターと黄金のリズム隊だ。



なんかこの曲を聴きながらアレサが亡くなったことを思うと本当に涙が出てくる。どんどんあの当時のスターが、自分の思い出のアーティストが亡くなっていく・・・

Young, Gifted and Black [Box Set].jpg


アルバム単位で好きなアルバムは1974年作の「Let Me in Your Life」かな、ビル・ウィザーズ作のアルバムタイトルの1曲目から言うことなし!この曲は通常のリズム隊と違って、リック・マロッタのドラムと、あのスタンリー・クラークのベース、そしてスピノザのギターなのだが、スタンリー・クラークの重いベース音が耳に残り、それに華麗にデオダートがアレンジしたストリングスが被さってくる。リチャード・ティーのピアノは結構耳に残るが、それに比べてボブ・ジェームスの弾くオルガンが余り目立たなく入っていたりして、ちょっと異色な組み合わせの豪華メンバーの競演って感じ。


3曲目のアシュフォード&シンプソン作の「Ain't Nothing Like the Real Thing」マーヴィン・ゲイとタミー・テレルの曲のカバーをアレサは大熱唱している。この曲も1曲目のミュージシャンとほぼ同じ構成にダニーのキーボードが加わる。ストリングスアレンジはウィリアム・イートンだ アレサのしんみりと歌う熱唱型のバラードはやはり心にジーンと響く。


そしてこのアルバムには前記の「デイ・ドリーミン」と自分としては1、2位を争う名曲「Until You Come Back to Me (That's What I'm Gonna Do)(邦題「待ちこがれて」)」が入っている。ご存知のスティーヴィーのカバー曲だ。パーディ、レイニーのリズムに、ダニーのエレピとヒュー・マクラッケンのリズムギターが絡み、ジョー・ファレルのフルートが被さる


自分としては先に書いた「Ain't Nothing Like the Real Thing」のカバーと同じくらい何度聴いても飽きないアレサのカバーの名曲だ。


アルバム全曲の解説をしたいところだが、未だ違う曲の事も書きたいので次に行くけど、このアルバムは全曲自分のお気に入りだ。

Let Me in Your Life [Box Set].jpg


他にアレサのマイフェイバリットソングはクインシー・ジョーンズがプロデュースしたアルバム「Hey Now Hey (The Other Side of the Sky)」に入っている「Angel」アレンジもクインシーがしている美しいバラード。アレサの妹のキャロリン・フランクリンと、あの名曲の「ソウルフル・ストラット」をユージン・レコードと共に書いたソニー・サンダースと共作して出来た作品。


バックはアルバムとしてロジャー・ホーキンスやジミー・ジョンソン、スプナー・オールダムのマッスル・ショールズでお馴染みのメンバーとかジェリー・ジェイモットとか参加しているみたいだが、LAで録音されているみたいなので、アラバマから連れて来たのだろうか?


サックスソロはリターン・トゥ・フォーエヴァーやCTIレーベルでの活動が有名なジャズプレイヤーのジョー・ファレルだ それ以外の詳細クレジットは各曲目で出ていないので残念ながら分からない。

Hey Now Hey (The Other Side of the Sky) [Box Set].jpg


次はディスコ時期にアレサも例外なく制作された 全曲ではないがアルバムの殆どをプロデュースしたのはヴァン・マッコイで、アルバム「ラ・ディーヴァ」アルバムタイトル曲みたくディスコっぽい曲もあったが、そんな流行りのディスコビートばかりのやはりアルバムではなく、ミディアムナンバーの良い曲も入っていた


その中で自分の好きな曲は「I Was Made for You」アレサの最初の息子であるクラーレンス・フランクリンが書いた曲で、哀愁のある曲調のストリングスとリチャード・ティーの弾くエレピが良い感じだ。


バックのレコーディングメンバーはヴァン・マッコイと関係の深いゴードン・エドワーズを始めとしたスタッフのメンバーが主に参加している(ドラムはガッドじゃなく、クリス・パーカー)

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最後はジャズのスタンダード・ナンバーから1曲 コロンビア時代の1965年のNYのライヴアルバム「 Yeah!!!」から スティーヴ・アレン作の有名曲「This Could Be the Start of Something」 有名なミュージシャンはギタリストのケニー・バレルだけだけど、トリオをバックにアレサが軽快に歌う

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アレサがアトランティックでスターになる前のコロンビア時代は会社の方針でアレサをジャズのスタンダードナンバーを中心に歌うジャズ系シンガーに仕立てて売り出そうとして成功はしなかったが、やはりアレサは歌唱力が抜群だったのでジャズも当然歌えた。


幼い頃からゴスペルを歌っていたから 歌唱力が当然身に付いて行ったと思うし、ゴスペル出身のソウルシンガーも多い中で、名プロデューサーのジェリー・ウェクスラーの方針と時代が丁度良くタイミングが合ったから、アレサはスターになれたと思う


また一人自分の好きだったアーティストが去ってしまった










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上原ユカリ裕さん [邦楽]


何か乗って来たって気分で、書いてます


日本人の好きなドラマーもいっぱいいる 


自分としてはやはりセッション系の人ばかりになるのだが、山木秀夫さんは一度も生で観たこと無いけど、凄いドラマーだと思う。

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ポンタさんは一度エポのコンサートのバックで観てる。ポンタさんは日本の音楽業界、スタジオ業界を引っ張って来た人だけど、素人目から見ても堅実なリズムをキープ出来る、もちろんテクニシャンなドラマーだと思うけど、余り華があるようなドラマーとは思えない。


ポンタさんは勿論スタジオミュージシャンとして何でも無難に叩けるドラマーなんだけど、例えば、スティーヴ・ガッドがディスコ系で一定のビートを同じように正確に叩けるのも、フュージョン系でどんなリズムも正確に叩けるのも、やはりガッドのテクニックが凄いのは分かる。


でもガッドが4ビートをやるとなんか無難と言うか、正確すぎて4ビートのノリのグルーヴ感って余り感じなくて面白くない。ポンタさんもジャズはそう言うところがあると思うし、やはりガッドと同じくポップ系やフュージョン系に強いドラマーだったのだと思う(だからと言ってガッドと同じような感じで語れるドラマーではないと思うが・・・)

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その点、今は亡き青山純さんはロック系出身のドラマーだけあって、先ずモダン系ジャズの演奏は殆どしたことがなかったのだと思うけど、ビートの力強さと正確さ、そしておかずの入れ方、ハッキリ言ってやっぱり達郎さんの現在のバックドラマーの小笠原さんよりも青山さんの方が迫力はあったと思う。


まぁ~青山さんが偉大過ぎたので、青山さんと比較したら小笠原さんが気の毒だと思うけどね

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あとは日本のスタジオドラマーのパイオニア的存在だった石川昌さんを筆頭に、渡嘉敷祐一さんとか、島村英二さん、江口信夫さん、そして70年代、ポンタさんとスタジオセッションの仕事を二分してきた林立夫さん、ちょっとその辺りのグループには入れにくいが、初期はジャズやロック系セッションも多かった つのだ☆ひろさんとか

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そしてグループ系出身だった、高橋幸宏さんとか神保彰さん、岡本郭男さん、最近の人は殆ど知らないけど、その中でも玉田豊夢さん、他にもいっぱいいると思うが、その辺りが頭に浮かんでくる。

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その中でもやはり達郎さんと結びつきが強かったドラマーの上原ユカリ裕さん


上原さんは大瀧さんにも重宝がられて大瀧さんのレコーディングにも必ず参加していた人だ。


その上原さんなのだが、その上原さんが忙しいくらい活躍していた時代じゃなく、かなり後に自分が知ったのだったが、


なんと!上原さんは、あの伝説的なロックバンドの村八分のドラマーだった!ということを知ってびっくりした。

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自分は勿論、当時から村八分の事は知っていたが、日本のロックだったし、いかにもアンダーグラウンド風で危なさそうで、外道とかと同じくレコードを聴くようなことはなかったのだが(村八分のファンは外道と一緒にしたら怒ると思うがw)


上原さんがシュガーベイブに参加していたことを思うと、余りにもかけ離れた経歴と言う感じがして、自分としては最初は理解出来なかったほどだった


村八分とシュガーベイブは正に180度違う音楽だと思っていたし、現に村八分の山口冨士夫だったか青木真一に、上原さんがシュガーベイブに行ってしまったことを非難されていたはず。


でも達郎さんは音楽性はシュガーベイブとかなり違っていても、村八分の事は当時も今も理解していたと思う。


AC/DCもフリージャズも聴く達郎さんなら、ハードなものや当時のアンダーグラウンド的なアナーキーな音楽、アバンギャルドなものまでも理解していたはず。


前に音楽チャットで山口富士夫つながりで裸のラリーズを聴かせてもらったことがある。関西の人でロック系が大好きな音楽好きな人だったが、とても興味深かった。


当時のロックの創成期に(それもハード系)、GSの流れからこのようにハードなノイジーな音楽としてアンダーグラウンドに流れて行って生まれて来た音楽として、音楽史を考えても十分自分としても理解出来る。


ユーチューブで上原さんが村八分で叩いていた演奏を聴いたことがあるが、リズムの正確さのタイム感、ビートの力強さを聴いて、とても荒れたロックバンドのドラマーとは思えないほどのテクニックの持ち主だったと分かる


上原さんはやはり当時から関西ではものすごいテクニックのドラマーとして有名だったそうで、大瀧さんに認められたのも良く分かる。


70年代初期及び70年代になる前はジャズ系出身のスタジオドラマーが殆どだったと思うが、70年代に入ってからポンタさんとか上原さんのようにロック、フォーク系のバックで演奏していたドラマーでもテクニックがあれば十分スタジオミュージシャンになれた時代がやってきて、青山さんに繋がって行ったんだと思う。


上原さんはシュガーベイブのあと、スタジオの仕事も多かったが沢田研二のバックでも演奏していたが、村八分の名残もあったせいか、かなり派手なビジュアル系の化粧や衣装だった記憶もある。


先にも言っていたように達郎さんのレコーディングでの「ソリッド・スライダー」「レッツ・ダンス・ベイビー」「ボンバー」「ファンキー・フラッシン」などの名曲が上原さんの名演によって生まれたと言っても過言ではない。




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旧厚生年金会館絡みの続き話 [音楽]


勢いとはこんなもので、結構書きたい気持ちが続いている


まぁ~ブログは日記的な意味合いもあるので、自分の記録の為にも書いておこう。


先ず、達郎さんのコンサートの話の続きだが、自分は達郎さんのコンサートで一番良い席でも1階の10列目以下だったし、今回も過去も殆ど二階席が多かった。


過去の厚生年金会館のコンサートでも、流石に最前列は無かったが2列目はあったと思う。


誰のコンサートの時か忘れちゃったけど、やはりジャズ系だったのは確か(ソニー・ロリンズだったような気もする)


でも、達郎さんのコンサートのように二階席になった事は一度も無かった(まぁ~それだけ競争率の高いアーティストのコンサートでは無かったとも言えそうだが、結構満席はあったと思う)


ほぼ全部の過去のコンサートが悪くても1階の10番台迄の席順で観れた。


その頃は前にも言ったけど、若かったしステージに近かったので、ミュージシャンに聞こえるように声をかけて叫んだこともあったw


札幌のゼップでは、あのデヴィッド・T・ウォーカーが開演前のステージでチューニング中にデヴィッドに片言の英語で呼びかけて話したことがある(会話と言うものではないw)

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昔はチケットを購入しにチケット販売の窓口に行った時に席順を見て購入できたので、早い者勝ちで空いていれば良い席が取れた。


あの頃は熱かったなぁ~


70年代後半から80年代初め頃までは、札幌に来たジャズ系フュージョン系のアーティストは殆ど観に行っていたと思う。


ロバータ・フラックの後はちょっと間が空いて、札幌の自宅に住んで大学に行ってからの1978年の笠井紀美子ウィズ・シーウィンドのコンサートを観に行った。


当時のクロスオーバー(今で言うフュージョン)に夢中になっていた時だったので、笠井紀美子よりもシーウィンド観たさで行ったコンサートだった。


別に最初からサインをもらうつもりで持って行った訳ではなかったのだが、当時買ったシーウィンドのセカンドアルバムを持参してコンサートに行った。


後々シーウィンド・ホーンとしてジェリー・ヘイを筆頭として引っ張りだこになるシーウィンドの前だったし、笠井紀美子のコンサートだったので、シーウィンドファンでコンサートに来た人なんてほぼいなかったような感じだった。


コンサートが終了して、会館内の通路に出て結構のんびりとしていて観客が殆ど帰った頃、今では信じられないが、関係者とか警備の方もいなかったので、ダメもとで楽屋はこっちの方かと思い二階に上がって行き、誰に引き留められる事も無くあっさり楽屋の方まで行けた。


そうしたらシーウィンドのメンバーが部屋の前のロビーで全員くつろいでいたので、もう自分は舞い上がった状態でメンバーのところに寄って行き、購入したパンフの各メンバーの紹介のところに全員からサインをしてもらった。


そうしたら丁度、笠井紀美子さんも楽屋から出て来てサインをもらい、確か「直ぐにこれから東京に帰るんだ」みたいな話を笠井さんとした記憶がある(最終便で帰ったのだったのだろうか)


とにかく貴重な経験をさせてもらった。まぁ~振り返って思ってみても、いくらあの当時でも、そんなコンサート会場で無防備、無警備な状態でもなかったはずだし、まぁ~どちらかと言うとマイナーなジャズ系のアーティストの人だったし、未だクロスオーバーと言うジャンルの大ブームが起きる前の地方公演だったから、もう笠井さんもメンバーもすぐ帰るような状況だったから、そんな展開の場が持てたのだと思う。


もう本当に嬉しかったねぇ~ お目当てのシーウィンドのメンバーのサインをもらえたのだからね


そしてこの事が、後の当たり前のようにしてサインをもらうようになるきっかけになったのであった。

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次はナベサダのコンサートだったと思うが、その時はバックメンバーもかなり有名な知る人ぞ知るスタジオミュージシャンばかりのメンバーだったから、近づくのは無理っぽい感じでもあったのだが、


すっかりもう気持ちは「サインをもらうんだぞ!」と言う気持ちになっていてw、もし係員に止められてもプレゼントを渡すと口実にする為にと、予めプレゼントまで買って用意していったくらいでコンサートに行った。


ドラムはもうその時は大好きなドラマーの一人だった ハーヴェイ・メイソン(当時からマイ・フェイバリット・アルバムの1枚だったキャロル・キングの「ファンタジー」のドラマー)、ベースの名手 チャック・レイニー(アレサやスティーリー・ダンのアルバムで知っていた)、そして同じくアレサ関連とダニーのライヴで有名だった、当時、人気急上昇中のスタッフのギタリスト コーネル・デュプリー、名アレンジャー デイヴ・グルーシンの弟のキーボード ドン・グルーシン、ブラジル出身のセッションが多忙になっていたパーカッショニストのポーリニョ・ダ・コスタ、そして日本人のギタリスト 増尾好秋、トロンボーン奏者の福村博 以上のメンバーだった。

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コンサートのアンコール時に座席を離れこっそり楽屋に上がった。これまた笠井さんの時と同じくあっさり行けた。当時はナベサダの人気もクロスオーバーブームで大人気だったから、ガードが固くなかったのが不思議なくらいだった。まぁ~今にして思えば、アンコール時だったから観客とは思われず誰にも引き留められなかったのだと思う。


そして楽屋のロビーで待っていたらメンバーがリラックスして戻って来た。それで各メンバーに札幌のお土産を渡しサインしてもらった 勿論渡辺貞夫さんにもだ


ステージ後のメンバーはリラックスしているし、それにロック系やポップ系の大スターと違って気さくな人ばかりだったので全然問題なしだった。


これにすっかり味を占めて、このやり方で以後もコンサートでサインをもらえたし、無理だったとしても、当時は外タレは札幌ではグランドホテルに泊まるのが定番だったので、グラウンドホテルのロビーで待っていてサインも良くもらった。


中には引き留められた事もあったが、関係者の人みたいな事を言って問題なく楽屋に行けた(全然業界人には見えなかったと思うが、知人だと思ったんだろうw)


唯一札幌でサインをもらえなかったのは ウェザー・リポートのメンバーだった。ウェザーはジャコを筆頭に人気も高く、ガードが固すぎて全然近付けなかった。


サインもらったメンバーを全員書いていったら、100人以上になると思うし、当時は自分の部屋にサインを飾っておいて、友人からラーメン屋だと言われていたw


その後NYに旅行したりなんかして、益々ミュージシャンと接することが出来たりした。


そんなこともあって、本当は音楽業界に就職したいくらいだったが、コネも無かったし、札幌の大学生じゃ音楽関係(業界)のアルバイトも出来なかったし(精々レコード店のバイト)大学卒業後は普通のサラリーマンになってしまったw

 

サインをもらった各メンバーの事は又詳しく書ける機会があったら書いていこう












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達郎さんのコンサート [邦楽]


やはり何かきっかけがあると書きたくなる


今年も行って来ました 達郎さんのコンサート


結局二日の札幌公演の内、一日しかチケットが当たらなかった。


まぁ~当たっただけでも良しとしなきゃね。


とりあえず、もう6~7年になるのかな、二日の公演が当たったこともあったが、一日は必ず当たって観に行けてるので近年の札幌公演は必ず観てることになる。


まぁ~本当におじさんが多いわな。それと意外と夫婦も多いみたい 勿論、女性独りで観に来ている人もいるが


過去に達郎さんのコンサートで音楽の話をした人は二人しかいない。


一人は横の席に座った男性でアイズレーとかの洋楽の話をした。ジミ・ヘンがアイズレーにいた話をしたりして、喜んで話が出来た人だった。


あともう一人は東京で音楽関係の仕事をしている人で、松任谷正隆さんとかと仕事したりしたことがある人だった。所謂業界人らしい人だったが、本人曰くそんなにプロとして仕事をしている立場でもないようなことを言っていた


その人とは邦楽の話をして、達郎さんの「ビッグ・ウェイヴ」の元ネタのター坊の話をしたりして楽しかった。


今回、横に座った独りで参加の男性に挨拶はしたが、とても話が弾むような人ではなかった。


まぁ~音楽仲間を探しに達郎さんのコンサートに行っている訳ではないので、こちらからもわざわざ他に話しかけていくようなことはしないし、とても話しかけれるような雰囲気でもない


ただ、やっぱり前にも言ったように達郎さんのコンサートだからね。だから中には洋楽好きな達郎さんファンもきっと来ていると思うし、現にサンソンで札幌の常連さんもリクエストとして良く読まれているから、そんな人と知り合えたら嬉しいけどね


見た目で判断しちゃいけないけど、達郎さん自身もコンサートで言っていたけど、やはり最近の新しいファンは音楽にうるさそうなことは言わないみたいなこと言っていたけど、音楽談義をして楽しむって感じのような人は何かいないように見えた


でもやっぱり達郎さんなんだよね。最初に札幌に来た時のエピソードとして「厚生年金会館に泊まった部屋でヴァン・マッコイのハッスルがかかった話」を達郎さんがしていたのを過去にも何回か聞いているけど


今回もその話をしていて「スティーヴ・ガッドのドラムがやっぱり良かったんだよねぇ」みたいなことを話していた。


達郎さんはサンソンでも、今回のコンサートでも話しているけど、やっぱり達郎さんもスタジオミュージシャンの話は好きみたい(どころか、当然プロとして意識してスタジオの業界内を知っていると思うし、元々達郎さんも音楽のバックグラウンドの興味が強かった人だから)達郎さんと、もしスタジオミュージシャンの話が出来たら話が尽きないと思うな(まぁ~そんなこと自分がプロの音楽関係者にでもならない限りあり得ませんがw)


達郎さん本人が言っているように、やっぱり達郎さんは当時から稀にみる洋楽オタクだったので、本当に音楽談義が出来る人なら、達郎さんも喜んで話してくれそうな気がするね(まぁ~忙しい人なのでそんな時間は無いと思うけど)


達郎さんがやる曲はやっぱり昔の曲の方が断然良いし、実際昔からのファンはそういう曲を望んでいると思う。


自分が好きな達郎さんの曲を挙げたら、きりが無いけど、「ウィンディ・レディ」と「ソリッド・スライダー」は好きだね。


「ネオ東京ラプソディ」も好きなのだが、やっぱりジョン・ファディスのハイノートのソロじゃないと違和感を感じるし、「ソリッド・スライダー」も多分難しいと思うし、あり得ないかもしれないが、生で教授のエレピソロが聴いてみたい


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「マーマレード・グッバイ」の淵野さんのサックスソロは素晴らしいの一言で、自分としては1番好きな曲なのだけど、この曲は達郎さんはコンサートでは演奏出来ない曲と公言しているし、実際淵野さんはもう公演には参加しないでしょう

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達郎さんの曲はミュージシャンのソロを上手く引き出して(上手く使って)曲を際立たせ、印象に残るキラーチューンとしての名曲も多い。


達郎さんはミュージシャンでもあるけど、やはりプロデューサー的な視点でもアレンジからミュージシャン起用まで曲作りに素晴らしい才能を発揮してきた人だと思う。


将来、細野さん、教授、ター坊、伊藤銀次さん(美奈子さんは無理だなw)上原ユカリ裕さん、田中章弘さん、辺りのメンバーでツアーを組んだらプラチナチケットになって手に入らないだろうな

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まぁ~昔からのファン限定でみたいなことになれば、その辺のメンバーとのジョイントは如何に凄いことなのか!分かるファンだけにチケット販売してもらったら喜んで行くのだけどね(まぁ~それでもチケット入手は難しいと思うけど)


もう無理だけど、本当は松木恒秀さんとか佐藤博さんと達郎さんとの夢のようなジョイントが観れたら、感激で涙が止まらなくなっていたと思う

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あとエポのコーラスとか、シンディのバックコーラスも又聴きたかったね。それにしてもシンディの中山美穂に書いた「ロゼカラー」のセルフカバーを是非とも聴いて欲しい。こんな素晴らしい曲を書けるシンディも凄い才能の持ち主だったと思う。鳴海寛さんのアレンジはもう言うことなしだ!二人とも達郎さんと関係があった人達なのだから、達郎さんファンも聴いて欲しいと思う。(シンディも鳴海さんも亡くなってますし、関連ある人全部言ったら、とんでもない数になるけどw)

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あと達郎さんの独り言ゴモゴモも結構面白くて、デヴィッド・リーロスの話もテッド・テンプルマンのことがポツリと出て面白かったw


やっぱり達郎さんの音楽的なエピソードの話は面白いね。


あとカバー曲の話だけど、自分としては達郎さんの拘りのマニアックな曲をしてくれたら、そりゃ~嬉しいし、自分の知らない曲だったら絶対調べるし、流石に自分も知らないようなアーティストのカバー曲は無いと思うので(実際演奏するとしたらの話で)達郎さんの拘りと元ネタを通してのカバー曲の素晴らしさを教えてもらいたいよ


昨年の角松敏生さんのコンサートでトム・スコットのカバー曲やっていた。みんなが知らない曲で、自分が知っている曲をカバーしてくれたら、周りの誰にも言えないので、心の中できっと大喜びしていると思うw


「今回下見をして次回は新しいコンサートホールできっとやることになるだろう」と達郎さんは言っていたが、今年の12月にキング・クリムゾンのコンサートで先に体験出来るので、どんな会場か見て来よう!


そのようなことで次回のコンサートの予定はキング・クリムゾンなのだが、トニー・レヴィンとメル・コリンズの演奏を楽しみにしている


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札幌 旧厚生年金会館 [Soul]


8月14日は山下達郎さんのコンサートだった。


達郎さんも今回のコンサートで今秋に取り壊しで今回が最後になるニトリ文化ホール(旧厚生年金会館)の思い出を語っていたが、(達郎さんはホクト文化ホールと間違えて言っていたな)達郎さんのコンサートについては後ほど追って書いていきたいと思っているが、自分も厚生年金会館には色々と思い出があるので語っていきたい


先ず、自分が最初に厚生年金会館でコンサートを観たのは(と言うか、自分にとって初めてのコンサート、それも洋楽の)女性ソウルシンガーのロバータ・フラックのコンサートだった。

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ネットで調べたら1975年の4月5日だったみたいだ。自分が高校2年生の時に友人と一緒に観に行ったコンサートだった。


パンフは確か購入していたので、探せばバックのツアーメンバーが正式に分かると思うのだが、ネットで調べてもメンバーが分かるものが出てこなかった


だけど、ギター以外ははっきりと覚えている。


ドラムはアイドリス・ムハマッド、ベースはアンソニー・ジャクソン、キーボードはレオン・ペンダーヴィスとハリー・ウィッテカー、パーカッションはラルフ・マクドナルドだった ここまでは間違いないと思う。


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ギターはエリック・ゲイルではなかったはず。で、このツアーに合わせた時期に出たアルバム「愛のためいき」のアルバムが録音されたレコーディングメンバーがほぼ来日メンバーだったので、レコーディングの時のギターで言えば、ヒュー・マクラッケンかリッチー・レスニコフだったように気がする


デヴィッド・スピノザだったら凄かったが、そうではなかったはずだ


いずれにしても凄いメンバーだったのだ!


後にスタジオミュージシャンに興味を持ってから、その時のそれぞれのメンバーのことが分かり、「自分は一番最初の洋楽のコンサートでこんな凄いミュージシャンを観ていたんだ!」と思って、ビックリした思いがあるくらいだった。


アンソニー・ジャクソンのことはしっかり覚えている。後に自分の好きなベーシストのベスト3に入るくらい好きになったアンソニーのことを、その時のコンサートで(当時は日本語で紹介する司会者がいたので)、当時アメリカで流行っていたオージェイズの「For the Love of Money(緑色の神様)」(しかし、凄い邦題だ!アメリカの札は緑色だからだそうだw)の作者だとアンソニーのことを紹介していたので、自分はその曲は知っていたので、あの独特なフランジャーのかかったアンソニーのベースのイントロ


もうアンソニーと言えば、この音!と言うくらいだったので、アンソニー・ジャクソンのことはその時はよく知らなかったが、しっかり覚えていた。


アイドリスも後にNYで30cm以内のすぐそばで観た!詳しくは機会があったら詳しく説明するが、NYのロフトでバスドラのすぐ目の前で観て演奏を聴いてサインももらった。


レオンもハリーも日野テルやナベサダのバックだったかな、それで来た時にサインをもらっている。


残念ながら、ラルフとアンソニーのサインはもらっていない!


他のアーティストの時のコンサートの話は又改めて書くことにするが、このロバータの時こそサインはもらえなかったが(もらうようなことはしなかった)、その後は今では考えられないような方法で厚生年金会館の楽屋まで行きサインをもらっていた


で、ロバータのコンサートの話だが、「やさしく歌って」がオープニングだった。


「愛は面影の中に」に次いでのアメリカでナンバー1で、同じくグラミー最優秀レコード賞も2年続けて受賞した大ヒット曲だったので正にオープニングにふさわしい曲だった。


この曲のいきなりの歌詞からの曲を聴いて感激で涙が出たのを今でもしっかり覚えている。


「恋人は何処に(Where Is the Love)」はダニーがいなかったから歌ったんだったかどうか覚えてないが、歌ってなかったような気がする(ダニーの代わりに誰がデュエットしたのか思いつかない・・・)


「愛は面影の中に」はヒット曲なので当然歌っているし知っている曲だったのだが余り印象になかったし、1stから3rdアルバムまでは当時はまだ持っていなかったし、ジャズっぽい曲や渋い曲はヒット曲以外は知らなかったので全然印象にないw


やはりアルバム「愛のためいき」からの曲を多くやっていたし、コンサートの後に直ぐアルバムを買ったので、そのアルバム曲は結構印象に残っていた。


そんな中で、やっぱり「愛のためいき」は最高に良い曲だった!今でも彼女の曲の中で自分はベスト3に入る名曲だ!


ユージン・マクダニエルズは後にこの曲をセルフカバーしているが、それにしても後世に残る大名曲を書いたものだ(「Compared to What」も彼が書いた大名曲だ)


マリーナ・ショウのカバー他、名カバーが多数あるが、レオンの弾くエレピと恐らくスピノザであろうのギター、そしてムハマッドのフロアタムの印象的なリズムが余りにも素晴らしいアレンジだ


Feel Like Makin' Love.jpg

Eugene McDaniels.jpg




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