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NY旅行 [音楽]


そんな訳で 1980年の2月に初めての海外旅行で大学生の春休みを利用して、当時はJALの「ゼロツアー」と言うものがあって、行きの到着NYと帰りはLAで、到着日、出発日だけ決まっているツアーでアメリカ1か月旅行に行きました。


目的は勿論 音楽を聴くためという事で行った


そのツアーは正に自分の目的にピッタリのツアーで 全然観光目的で行った訳じゃないので、スケジュールも決まった行程のツアーじゃなかったので、オール現地自由行動って言うツアーだった。


だからNY2週間、LA2週間でほぼ予定したのだけど、LAにいた時は4日間くらいラスヴェガスに行った。


一番の不安は 勿論英語の会話だったのだけど、これは本当に怖いもの知らずの大学生で勢いだけで何とかなると思って行ったから、NYも怖い時があったけど、怖い思いは一度もしなかった。


とにかく不安だったのはNYからLA行く時の空港内の飛行機の案内アナウンスが良く分からなくて間違って違う飛行機に乗っちゃったら、あるいはチケットを取っていた飛行機に乗れなかったらどうしよう!って言うのが、行動中の一番の不安だったかもしれない


まぁ~NYの帰りのタクシーで見事にボッタクられたけど(まぁ~地下鉄で行けば良かったのだが)それほどのバカげた損失にもならなかったので、LAで音楽とは違ったところでの失敗談はあったけど、まぁ~こう言うブログでは書けないエピソードですがw


まぁ~あとは大きな痛手を被ったり、被害にあうようなことも無かったので(一部を除けばw)良い旅行が出来たと思う。


ケネディ国際空港に着いてマンハッタンに向かった時は本当に感激したね


夢にまで見たNYの景色、マンハッタンの景色だった


音楽目的で行ったから、NYは経済でも文化でもアメリカの中心地なんだけど、やっぱり音楽が一番似合う街だと言うのが自分の第一印象だった。


まぁ~昼頃NYに着いたんけど、当然のように時差ボケになったし、冬の気候ってこともあってそれから3日ほど風邪気味で過ごした。


でも着いたその日の夕方から早速行動した。大体行きたいお店は日本で調べていた事もあり。


先ず当時フュージョン系のブレッカー兄弟が(バンドのブレッカーブラザーズのメンバーとしての)経営するクラブの「7thアヴェニューサウス」に行きたいと思っていたのでマンハッタン南部の方なので、歩いて行けるのかどうなのか、先ず向かって見ようという事で街中に夕方頃から出て歩いた。

Brecker Brothers.jpg


ここで本当に作り話のような出来過ぎた正に運命とも言える偶然に、NYに着いた初日から結果的に本当に一生の思い出になって行く経験に遭遇した。


それは偶々路上で声をかけて、上記のクラブの行き方を黒人の方に聞いたのが運命の出来事の始まりだった。


その方は凄く親切で、タクシードライヴァーに場所を告げてくれて、自分をタクシーに乗せてくれたのだが、その時にその黒人の方から別れ際に名刺をもらった。


クライド・デイヴィスと書いてあって、オフィス事務所の名前も住所も書いてあった。


先ず取り合えず先のジャズクラブには行って、無事に店に到着して場所も分かったので店のスケジュールを見て次回行く予定を決めただけでホテルに戻って来た。


それで、その名刺なのだが、クライドは勿論初めて会った一般の人で当たり前だが分からない人だったのだが、名刺の中に「ポール・グリフィン」と書いてあったのだ。


そしてクライドがどうも音楽関係の事務所に勤めているらしい人と分かった(名刺にミュージックと言う文字があったから)


という事は、ひょっとして「ポール・グリフィン」とは「あのポール・グリフィンなのか!?」と思い始めた。


これはもしそうだったら 本当に凄いことだと思い始めて、その日は興奮で寝れないくらいだった!(だから時差ボケと疲労で余計に風邪をこじらせたのだけどw)


それで次の日か2日後に、そのポールの事務所も調べたら(マンハッタンは札幌のように碁盤の目だし、ビルに番号が振っているので)意外と近くで行けそうな感じだったので、とにかく思い切ってそのビルに行ってみる事にした。


NYはその当時から商業ビルと違ってオフィスビルには自由に入れないところもあったし、トイレは鍵を持っていくくらいだったから保安上ビルの中に入るのは厳しかったので、出勤時間に当たる朝9時頃からビルの玄関前で待っていた。


どのくらい待ったかなぁ まぁ~ビジネス時間でもあったけど、クライドがいつ来るか全く分からない中で待っていた 1時間もしない内にクライドが来たのだったかなぁ まぁ~とにかく無事にクライドと再会出来たのだ!


クライドはまぁ~2日ほど前の出来事だったとはいえ、それでもしっかり自分の事を覚えていてくれた。


それでとにかく舞い上がっていた気持ちで、「自分は音楽を聴きにアメリカNYに来た、そしてこの名刺に書いてあるポール・グリフィンとは、あのミュージシャンのポール・グリフィンなのか?」と聞いた。


そうしたらクライドが「そうだ!」と言ったのだ!もうひっくり返りそうなくらいの気持ちになった!!!


ポールはセッションミュージシャンで、古くは有名なところではボブ・ディラン、ポール・サイモン、クインシー・ジョーンズ、カーリーサイモン、ポップ系からジャズ系まで、そしてあの!あの!スティーリー・ダンとかのレコーディング・セッションにも参加しているポール・グリフィンだったのだ!!!!!


自分はスタジオミュージシャンに興味があったから、ポールの事は知っていたのだ、古くはコロンビアレーベル系のセッションマンとしてキーボード・プレイヤーとして、その中でもオルガンプレイヤーとして特に有名な知る人ぞ知るミュージシャンだった


そんなことで早速、事務所に連れて行ってもらって、もうメチャクチャな片言の英語でポールの事を良く知っていることも、とにかく音楽が好きなことも、感激しながらクライドに伝えた。


そうしたらその自分の情熱が通じたのか、ポールは忙しいので中々事務所に来れないけど、(クライドとポールの二人だけの事務所だった)「良かったら毎日でも遊びに来い」と言ってくれた。


「もう本当にこんな偶然があるんだ!」「いきなりNYの初日から夢みたいなことが起きるんだ!」と、もう普通の感激の表現が出来ないほどの半端ない感激で夢心地だった。


それからほぼ毎日、先ず朝にその事務所に行く事が日課になってしまった。そうしたらNYには「ヴィレッジ・ヴォイス」と言う情報誌が街中のスタンドでどこでも手に入るから、それを見て行きたいところを予約していくように教えてくれた。


そうしてマンハッタン内のクラブ巡りをヴィレッジ・ヴォイスを見ながら始めた。


クライドには他にももの凄い貴重な経験をさせてもらった!!!


先ずハーレムの友人のアパートに連れて行ってもらったこと、そしてパーティでみんなでピアノを囲んでゴスペルを歌っていたのを観た!当時でも怖いハーレムに連れて行ってもらって、黒人の生の日常生活、音楽を経験させてもらったのだ!


教会にも連れて行ってもらったし、風邪を治す為に風邪薬も良いものも勧めてもらったり、そして違うパーティにも連れて行ってもらった!


そしてポールの音楽上の付き合いから、ラルフ・マクドナルドのレコーディングエンジニアのエディ・ヒースの事務所に連れて行ってもらったのだ!


エディーは有名なところでは、ロバータ・フラック。そしてあのグロヴァー・ワシントン、そしてナベサダとも(後に繋がりの話もある)仕事をしてきた人で、事務所にはエディがレコーディングに関わったアルバムが飾ってあった


エディとはしっかり握手もして「あなたの関わった音楽が大好きなんですよ」と言って別れた。


本当に夢のような出来事をいっぱいクライドのお陰で経験させてもらったのだ。


結局ポールとは一度だけ事務所で会った そして後にポールとはナベサダのバックで札幌に来た時に再会を果たしのだった


音楽ライブの経験談、他のエピソード等いっぱいあるので また分けて書きたい


ポールは2000年に亡くなっている 札幌でマリーナ・ショウのバックでチャック・レイニーと再会した時に「亡くなったことはそうだ」と言っていて、悲しそうに話してくれていた。

paul griffin.jpg


下はオノヨーコとのセッションの写真で、アルバム「It's Alright (I See Rainbows)」の時のレコーディングセッションの時のフォトだと思うが錚々たるメンバーが写っている

paul griffin 2.jpg


ポールは最後列の左端、その横が自分の大好きなベーシストのニール・ジェイソン、その右横はパーカッショニストのブラジリアンのルベンズ・バッシーニ、中央の小野ヨーコの右がギタリストのジョン・トロペイ、前列左がドラマーのヨギ・ホートン、そしてその右横がスティーリー・ダンの「輝く季節」のギターソロで超有名になったギタリストのエリオット・ランダールだ!





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