60年代のイーストコースト・ドラマー [Pop]
自分が音楽の記事を書くのは、今までのここのブログの傾向を見れば、やはり達郎さんの影響が強い
やはり達郎さんのサンソンでかかった曲がきっかけで書きたくなる記事になる事が多い
達郎さんが前回のガールズ特集でかかっていたダイアン・キャッスルの「All for the Love of Mike」は「チャーリー・カレロがアレンジしていて、ハル・ブレインそっくりに叩いているドラムは誰でしょう?」と達郎さんが言っていたので、自分としても非常に気になっていた。
確かに前にここのブログで書いたように、自分としても60年代のセッションドラマーと言ったら、レッキング・クルーのハル・ブレインとアール・パーマーのウェストコーストのドラマーか、ジャズ系のドラマーしか思い浮かばない
で、イーストコーストと言えばパーディだと思うのだけど、そう思うと60年代のNY界隈のセッションドラマーって誰がいたのだろう?と思うようになった
70年代のNY界隈のセッションドラマーと言えば、やはりガッドが最初に来てその後シュワルツバーグとかがやはりカレロのセッションとかに起用されていた訳で、まぁ~その前となるとリック・マロッタなのかなぁ~と思ってはいた。
確かに60年代の4シーズンズのレコーディングミュージシャンって誰だったのだろうと思うと、レッキング・クルーみたくウェストコーストを仕切っていたミュージシャンしか名前が出て来ない・・・
60年代はやはり東西に関わらずレコーディングクレジットなんてアルバムに殆ど書かれていなかったので、特にイーストコーストのミュージシャンってどんな人だったのだろうと思うようになり調べてみた
先ず、ソウル系とポップ系のセッションが多かったのはゲーリー・チェスターで、60年代前後からレイバー&ストーラーのプロデュースしたヒット作品を中心にドラムを叩いていた
主なところではコースターズ、ベン・E・キング、ドリフターズ等で、70年代前後以降の自分がアルバムを持っているようなアーティストではローラ・ニーロ、ジム・クロウチ、ジョン・デンバー辺りの知っているアーティストのレコーディングでドラムを叩いている
次は達郎さんが「サーカスタウン」のレコーディングの時に最初にやはりカレロに要望したドラマーのバディー・サルツマン。
彼も60年代前半辺りからレコーディング・セッションをしていて、60年代は有名なところではジャニス・イアンの初期のレコーディングとか、ピーター・ポール&マリー、あとアルゾ・フロンテのアルゾ&ユーディーン、70年代に入ると有名なアーティストではメラニーとかハリー・チェイピン、そしてトレード・マーティンとかニール・セダカ等
と言う事で、この上記に挙げた2人が達郎さんの言っていたハル・ブレインにそっくりなドラマーの可能性があるのかな?と自分なりに思っているのだが(さすがに音で聞き分けが出来るほど自分は彼等のレコーディング数を聴いていないので分からないが・・・)
でも当時のブリル・ビルディングを中心としたヒット曲作りのセッションは余りにも膨大だったので、クレジットされない表に出て来ないミュージシャンもいっぱいいたと思うので断定は難しいのかな
あとナッシュヴィル系になってしまうが、ケニー・バトリーが60年代のボブ・ディランとかゴードン・ライトフット、そしてやはりカントリー系のウェイロン・ジェニングス等
ジャズ系ではロニー・ジトー、ボビー・トーマス、
そしてソウル系はチャビー・チェッカーやディー・ディー・シャープ等の60年代のカメオ・パークウェイのフィリー系ミュージシャンはボビー・グレッグ、MFSBの主要メンバーだったギタリストのローランド・チェンバースの兄のカール・チェンバース辺りがドラマーとしてセッションに参加していたと思うし、デイヴ・アぺル繋がりでイーストコーストのソウル系ポップ系のセッションにも参加していたかも知れない
それにフィラデルフィアは東海岸ではニューヨークの次にクラシックもジャズも盛んなところだったので、ジャズのミュージシャンもアルバイト感覚でポップソウル系のセッションに参加していた可能性は高い
以上に挙げたドラマー達が60年代の東海岸を中心としたセッションドラマーだったとは思うのだが、先にも言ったようにこの時代はレコーディングクレジットがされてないので少しのデータで予測していくしかない
まぁ~パーディは間違いなく60年代から東海岸でセッション活動はしていたと思うけど、70年代になってクレジットされて表に出て来たドラマーはやはりガッド、マロッタ、シュワルツバーグがポピュラー系セッション数が多かった3大ドラマーだと思う
やっぱりスタンダードナンバーは良いね~ [音楽]
久し振りの記事になるが、世間の喧騒と共に身内の事でも色々あり、落ち着かなくも過去を振り返り、昔を懐かしむ日々を送っている
ファッション関連の買い物でも、音楽を聴きに行く事でも、世の中の動きだけではなく個人的な事情にもより外出を控えている。
昨年から行くようになった地元のジャズクラブのマスターは自分にとってはもう自分が心の底から嬉しくなるような音楽談義が出来る最高のマスター
当時のあの伝説的なグランド・ファンクの後楽園でのコンサート、そしてシカゴ、レッドツエッペリンの初来日コンサートもリアルで観ている、自分より大先輩の音楽通なマスターだ!
奥様も80年代に井上鑑さんや今剛さん、センチメンタル・シティ・ロマンス、久保田真琴、そしてあの!細野晴臣さんとレコーディングをして、そしてマイク・ダンや、あの!上原ユカリ裕さんともライヴで共演している凄い人で、このジャズクラブでも歌を披露しているシンガーでもある
マスターは本当に自分の趣味にピッタリとハマる当時のロックもポップスもジャズも邦楽の話も出来る、60年代からの洋楽や当時の日本の音楽状況も教えてもらえる、自分の尊敬するマスターだ
自分はこんな人と知り合いたかったのだ!と思えるほどの素晴らしい人です
そのマスターのブログを見ていて書いてあった、映画「ジョアンナ」の記事
マスターの書くブログは情景が思い浮かぶようなとても文才を感じるブログだ
自分は「ジョアンナ」の映画を観た事が無いのだが、記事の中でスコット・ウォーカーの歌う挿入歌の事も書いてある
サンソンで達郎さんも特集していたスコット・ウォーカー
彼の歌う「When Joanna Loved Me」を改めて聴いている、スコットのクルーナーヴォイスとウォーリー・スコットのアレンジが唸るほど素晴らしい!!!
もう流れるような美しいストリングス、もう歌と情景がリンクするようなアレンジで心から感動する
この「When Joanna Loved Me」は作曲はジャック・シーガルで凄く有名な曲ではないけどスタンダードナンバーとしては「When Sunny Gets Blue」とかを書いた作曲家で、ティンパン・アレー世代よりも後に出て来たポピュラー作曲家(彼の書いた曲で「What Are You Afraid Of」も素晴らしい曲だ)
「When Joanna Loved Me」もオリジナルで歌っていたトニー・ベネットが彼の曲を良く取り上げて歌っている
作詞はロバート・ウェルズ、あの!「ザ・クリスマス・ソング」をメル・トーメと共作して書いた人
スコットの「When Joanna Loved Me」をアレンジしたウォーリー・スコットは達郎さんもスコット・ウォーカー特集で言っていたが、後に性転換手術で女性になった人だが、そう言う事柄もうなずける程の繊細なアレンジをする人だ
自分は彼のアレンジした作品はスコットウォーカー以外ではイギリスのマリリン・モンローと言われたダイアナ・ドースのアルバム「Swingin' Dors」くらいしか持ってないが、イギリスのムードオーケストラものやポップ系シンガーもの、そしてスタンダードジャズ系のイギリスのアレンジャーはアメリカほど有名なアレンジャーはいないが、達郎さんも言っていたように優れたアレンジャーはいたと思うし、自分も改めてその当時の(60年代以降の)イギリスのミュージシャン及びスタジオ関連の人に最近は凄く興味が惹かれている
それにしても当時のスタンダードナンバーを聴いていると本当に心が休まるし、自分が子供時代だった時の思い出が蘇って来る
60年代にテレビでBGMやドラマ等で流れていた、ビートルズ等の洋楽のヒット曲以外のスタンダードナンバーは自然と子供時代から自分の音楽感に植え付けられていたのだと思う
古い曲が全部はそうだとは限らないが、ポップスでも単純にヒット曲を創る為の音楽の中でも優れた曲や、今聴いても名曲と言われる曲は心から感動させられるし色あせない
そしてスコット・ウォーカーはロックンロールの時代やウォーカー・ブラザーズの時よりも自分としてはやはりスタンダード歌っている頃が最高の時代だと思う
彼のソロアルバムでは1stのウェイン・シャンクリン作曲の「The Big Hurt」、プレヴィン夫妻の書いた「You're Gonna Hear from Me」、2ndアルバムのマンシーニの書いた「Wait Until Dark」、マックス・スタイナーの書いた「Come Next Spring」、これらのスタンダード以外にも
スコット自身が書いた3rdの「It's Raining Today」「Copenhagen」、5thアルバムの「Joe」「The War Is Over (Sleepers - Epilogue)」は素晴らしい
特に「It's Raining Today」はクロード・ソーンヒルの名曲「Snowfall」を思わせる不協和音のアレンジはウォーリー・スコットのアレンジャーとしての才能を感じさせる名曲だと思う