デヴィッド・フォスター [Pop]
特に変わりも無く日々母と共に地味な生活を継続していますが、
色々音楽を聴いているのは相変わらずで、そんな中で急にデヴィッド・フォスター関連で聴いていて記事を書きたくなった
デヴィッド・フォスターはウィキなどの資料によれば、チャック・ベリーやボ・ディドリー等のツアーのバックで演奏もしていた経歴がある中で、ロックンロール・スターでもあり、カントリー系のシンガーでもあるロニー・ホーキンスのバック・バンドのホークスに加入して活動していた
自分はロニーのアルバムは1枚も持っていないが、そのロニーがカナダに移住した時に後のロックバンドの「バンド」のメンバーになるカナダ人のロビー・ロバートソンやリック・ダンコ等が加入し、その流れで同じくカナダ人のデヴィッド・フォスターもホークスに加入したのだろう
自分はロニーのアルバムを持っていない事もあり改めて調べてみたら、あのジョー・ウォルシュが結成したバンドとして、そしてディープ・パープルにも加入していてオーバードーズで亡くなったトミー・ボーリンも在籍していたジェームス・ギャングに加入していたカナダ人のドメニック・トロイアーノ(カナダのバンドのゲス・フーにも参加していた)やロイ・ブキャナンもホークスに参加していたみたいで、デヴィッド・フォスター繋がりで調べていたらカナダ人と結構繋がっていたり有名なミュージシャンもロニー・ホーキンスと関連していたのが分かった
自分はジェームス・ギャングは結構持っていて、トロイアーノやボーリンが参加しているアルバムも持っているが、ロイ・ブキャナンは持っていなかったのだが、改めて色々と繋がりが分かるのはとっても面白い
トロイアーノのザ・ドメニック・トロイアーノ・バンドのアルバムは是非とも欲しい!当時から知っているアルバムだったのだが、ブレッカー兄弟を始めとしたフュージョン系のミュージシャンが参加しているアルバムで未CD化なのでアナログでも手に入れたいアルバムだ
と、相変わらず前置きが長いが(自分の場合はやはり繋がりをあれもこれも書いていると長くなってしまいますw)
ここから本編になるデヴィッド・フォスターは自分の場合はスカイラークから始まっている
スカイラークは73年に全米チャート9位まで上がった「ワイルドフラワー」で当時から良い曲だなぁ~と思ってはいたのだが、実際は90年代のコンピCDで初めて手に入れた後、スカイラークの1stアルバムを丸々含んだベストアルバムをCDで購入して持っている
「ワイルドフラワー」はやはり名曲だけあってカバーも多く元々ソウルフルなナンバーだったので、スカイラークのヒットの後、ソウルの大所帯バンドのニューバースにも取り上げられて全米でも中ヒットしたくらいだったので、自分はスカイラークよりもこっちのレコードを当時は先に入手したくらいだった
自分はこの「ワイルドフラワー」のカバーは先にあげたニューバースのヴァージョン以外ではやはりニューバースと同じく73年に即カバーしたマリーナ・ショウ、ハンク・クロフォード、続く74年のクリエイティヴ・ソース、ジミー・スミス、オージェイズ、等のヴァージョンを持っているが、やっぱりオリジナルが一番良いと思う
粘っこいソウルフルなヴォーカルヴァージョンが多い中で自分としてはジミー・スミスのヴァージョンがインストにコーラスが被さる洒落たソウルフルナンバーになっていて気に入っている
この「ワイルドフラワー」は上田正樹の「悲しい色やね」が似ている曲としても有名なのだが、アルバムは「ワイルドフラワー」以外ではこのスカイラークでも繋がっている先に述べたドメニック・トロイアーノ作曲の「ザ・ライティング・オン・ザ・ウォール」がソウルフルで良いし、デヴィッドも曲作りにクレジットされてる「トゥエンティ・シックス・イヤーズ」がポップなAOR風なナンバーで良い
スカイラークのメンバーだったカール・グレイヴスのソロアルバムも自分は持っているが、これもまた良いアルバムで、エド・グリーン、ウィルトン・フェルダー、ラリー・カールトン、レイ・パーカー等が参加している
意外なところではニール・セダカの「悲しき慕情(Breaking up Is Hard to Do)」なんかもカバーしているが、マーヴィン・ゲイやグラディス・ナイトで有名なバレット・ストロング&ノーマン・ホィットフィールド作の「ザッツ・ザ・ウェイ・ラヴ・イズ」のカバーがファンキーに仕上げられて最高にカッコいい!
あと、スカイラークのメンバーではダニー・ジェラードの76年のソロアルバムもカールと同じようにエド・グリーンやウィルトン・フェルダーの他にジェイ・グレイドンも参加していて凄く良さそうなアルバムなので早速中古で購入予定にしている
デヴィットはそのスカイラークの後、セッションドラマーのジム・ケルトナーやギタリストのダニー・クーチマー、ベースのポール・ストールワースとアティチューズと言うグループを結成して2枚のアルバムを出している
ジョージ・ハリソンが作ったダークホース・レコードレーベルから出されたアルバムで未だにCD化されてないアルバムなのだが自分はアナログで持っている。音楽ファンがCD化を求めているアルバムでもある
2枚のアルバムともとってもポップでソウルフルなアルバムで、のちのAORやフュージョンの先駆けのようなアルバムだ
1stの「Attitudes」はデヴィッド・フォスターとブレンダとブライアン・ラッセル夫妻の共作のポップでソウルフルな「Ain't Love Enough」、スカイラークのアルバムにヴォーカル等で参加していたフォスターの最初の奥様だったB.J.クックと、ロバータ・フラック等に曲を提供していたエリック・マーキュリーが共作したエレピがメインとなったバラードの「You and I Are So in Love」、そしてメンバーのストールワースが作詞作曲したミディアムナンバーの「Lend a Hand」が特に良い
2ndの「Good News」は4人のメンバー以外にタワー・オブ・パワーのホーンが参加したり、曲によってギタリストのワディ・ワクテル、ジェイ・グレイドンの有名どころも参加していて、アルバムタイトル曲ではオルガンでブッカー・T・ジョーンズ、そしてあの!リンゴ・スターが参加している
このアルバムタイトル曲はリードヴォーカルもとっているストールワース作のナンバーで、このアルバムの中でも1番引き立っている曲で、ソウルフルなヴォーカルにタワーのホーンが絡んだとってもリズミカルなナンバーでエンディングにかけてレニー・ピケットが吹くマイケル・ブレッカー風なテナーサックスが又良い味を出している
他にはクーチマー作詞作曲のスローファンキーナンバーの「Let's Talk Turkey」とミディアムナンバーの「In a Stranger's Arms」「Promise Me the Moon」、ストールワース作の「Turning in Space」やジェイ・グレイドンがソロをとる「Change」、アルバム全曲が捨て曲なしの自分のお気に入りのアルバムだ
先ずこれらのアルバムにグループのメンバーとして参加して来たデヴィッド・フォスターが同郷のブルース・ミラーのアルバムをプロデュースした後にフォスターのプロデュースしたアルバムとして有名になった女優でもありシンガーでもあるジェイ・P・モーガンの76年の同名アルバムは知る人ぞ知るアルバムとしてレアグルーヴ・マニアからも注目された
ジェイ・P・モーガンのジャズヴォーカル時代のアルバムを自分は3枚持っているが、時代が変わりフォスターのプロデュースによるAORの名盤として名高い自主制作のレアアルバム
このアルバムも全曲捨て曲なしの素晴らしいアルバムで、AWBのカバー「Keepin' It to Myself」、ビル・チャンプリン作のチャンプリン自身のバンド、ザ・サンズ・オブ・チャップリン、マリア・マルダー、ポインター・シスターズにもカバーされた「Here Is Where Your Love Belongs」、フォスターとエリック・マーキュリー、ダニー・ジェラルドが共作した「Closet Man」、スティーヴィー・ワンダー作詞作曲の「It's Been So Long」、そしてアースの名曲でスキップ・スカボロー作の「Can't Hide Love」、マーヴィン・ゲイ&タミィ・テレルのアシュフォード&シンプソン作の「You're All I Need to Get By」カバーなど、アレンジ、レコーディングメンバーも全てが最高の、とても自主制作盤とは思えないような出来で正に隠れた名盤と言える!
そしてリサ・ダル・ベロ、そしてダニー・ペックやキーン・ブラザーズと続いた後、ホール&オーツ、アリス・クーパーの大物と続き、AWBやボズのプロデュース、そしてエアプレイでフォスターはAORの名プロデューサーとなって行った。
上記に挙げたアーティスト達のアルバムを始め、70年代から80年代の初期にかけてフォスターがプロデュースしたアルバムは結構持っているが、その中でもAOR好きな人達には名曲として知られているフォスターが関連した自分なりの名曲を上げてみたい
先ず、79年のデニース・ウィリアムスのアルバム「When Love Comes Calling」から、フォスターとデニースが作曲しキャロル・べイヤー・セガーが作詞をした「Why Can't We Fall in Love?」
いかにもフォスターらしいメロディの曲で、しんみりとした出だしから後半に盛り上がる大バラードナンバー
デニースの4オクターブの声が堪能できる名曲だ
そして次は1992年にエイズで亡くなった、オリヴィア・ニュートン・ジョンのナンバー1ヒット「愛の告白」の作者でも有名なピーター・アレンのアルバム80年のフォスターがプロデュースしたアルバムのアルバムタイトル曲の「Bi-Coastal」
アレン、フォスター、キーン・ブラザーズのトミー・キーンの3人の共作で、ジェリー・ヘイがアレンジしたキレの良いシーウィンド・ホーンとエンディングのゲイリー・ハービッグのサックスソロが特にカッコいい曲だ!
意外なところではデビュー当時は変態ロックバンドと言われたチューブスのフォスターがプロデュースした2枚のアルバム「The Completion Backward Principle」と「Outside Inside」。共に80年代のロックサウンドのアルバムでもあるがフォスターらしい曲も入っていて、「The Completion Backward Principle」の「Dont Want to Wait Anymore」はフォスターとチューブスのメンバーの共作でAORの名曲でもあると思う
このアルバムはスティーヴ・ルカサーとフォスターが共作したTOTO風な曲もあるが、アルバムとしてはロックアルバムなので上記に挙げた曲が突出している
そしてフォスターがプロデュースしたアルバムじゃなくトミー・リピューマがプロデュースしたブレンダ・ラッセルのアルバム「Two Eyes」に入っているナンバーでフォスターとブレンダが共作した「It's Something!」この曲もAOR史上に残る名曲でしょう!
最後に大物のチャカ・カーンのアルバム「I Feel for You」から言わずと知れた大名曲の「Through the Fire」
「I Feel for You」はプリンス作の大ヒット曲として知られた曲だけど、フォスターとトミー・キーンが作曲し、あのシンシア・ワイルが作詞したAORの名バラードとして後世に残るこんな名曲が入っていたアルバムだった。
フォスターはエアプレイやシカゴ、アース等、その他多数のジャンルを問わず名プロデューサーとしてドンドン有名になって行くのだが、ポップ、ソウル、ロック系のアーティスト、ミュージシャンのプロデュースが続いた後に
90年代に入ってジャズヴォーカルのアルバムとして売れに売れた大ヒットアルバムのナタリー・コールの「Unforgettable With Love」の数曲をフォスターがプロデュースした事でビックリした覚えがある
コンピューター処理で父のナットとデュエットした「アンフォゲッタブル」はシングルでも売れて、アルバムも曲もグラミー賞を受賞した
このアルバムは当然リアルタイムで購入して、このアルバムが出てからのナタリーの札幌公演も観に行った。
正に自分の好きなスタンダード集みたいなアルバムで、ナタリーのイメチェン戦略としては大成功のアルバムだったと思う。
このアルバムを出して売れたと言うのは当然あのナット・キング・コールの娘のナタリーが歌ったから売れたと思うし、70年代のヒット曲から遠ざかり一時はドラッグ中毒にまで陥って苦境にあったナタリーとしては、80年代半ば以降にスプリングスティーンのカバー曲の「ピンク・キャデラック」のヒットがあってカンバックに成功したにせよ、この父とのデュエットを含んだスタンダードナンバーのアルバムを出す事は当然の成り行きだったと思う
と、まぁデヴィッド・フォスターの事を記事に書いたのだけど、フォスターはプロデューサーとして、アレンジャーとして、ミュージシャンとして、そして作曲家として余りにも広範囲に活動して来たから、色んな事を幅広く書く事になってしまった
フォスターの事は未だ書き足りないくらいだから、又何かの繋がりでフォスターの事を書く事はあるだろう
60年代のイーストコースト・ドラマー [Pop]
自分が音楽の記事を書くのは、今までのここのブログの傾向を見れば、やはり達郎さんの影響が強い
やはり達郎さんのサンソンでかかった曲がきっかけで書きたくなる記事になる事が多い
達郎さんが前回のガールズ特集でかかっていたダイアン・キャッスルの「All for the Love of Mike」は「チャーリー・カレロがアレンジしていて、ハル・ブレインそっくりに叩いているドラムは誰でしょう?」と達郎さんが言っていたので、自分としても非常に気になっていた。
確かに前にここのブログで書いたように、自分としても60年代のセッションドラマーと言ったら、レッキング・クルーのハル・ブレインとアール・パーマーのウェストコーストのドラマーか、ジャズ系のドラマーしか思い浮かばない
で、イーストコーストと言えばパーディだと思うのだけど、そう思うと60年代のNY界隈のセッションドラマーって誰がいたのだろう?と思うようになった
70年代のNY界隈のセッションドラマーと言えば、やはりガッドが最初に来てその後シュワルツバーグとかがやはりカレロのセッションとかに起用されていた訳で、まぁ~その前となるとリック・マロッタなのかなぁ~と思ってはいた。
確かに60年代の4シーズンズのレコーディングミュージシャンって誰だったのだろうと思うと、レッキング・クルーみたくウェストコーストを仕切っていたミュージシャンしか名前が出て来ない・・・
60年代はやはり東西に関わらずレコーディングクレジットなんてアルバムに殆ど書かれていなかったので、特にイーストコーストのミュージシャンってどんな人だったのだろうと思うようになり調べてみた
先ず、ソウル系とポップ系のセッションが多かったのはゲーリー・チェスターで、60年代前後からレイバー&ストーラーのプロデュースしたヒット作品を中心にドラムを叩いていた
主なところではコースターズ、ベン・E・キング、ドリフターズ等で、70年代前後以降の自分がアルバムを持っているようなアーティストではローラ・ニーロ、ジム・クロウチ、ジョン・デンバー辺りの知っているアーティストのレコーディングでドラムを叩いている
次は達郎さんが「サーカスタウン」のレコーディングの時に最初にやはりカレロに要望したドラマーのバディー・サルツマン。
彼も60年代前半辺りからレコーディング・セッションをしていて、60年代は有名なところではジャニス・イアンの初期のレコーディングとか、ピーター・ポール&マリー、あとアルゾ・フロンテのアルゾ&ユーディーン、70年代に入ると有名なアーティストではメラニーとかハリー・チェイピン、そしてトレード・マーティンとかニール・セダカ等
と言う事で、この上記に挙げた2人が達郎さんの言っていたハル・ブレインにそっくりなドラマーの可能性があるのかな?と自分なりに思っているのだが(さすがに音で聞き分けが出来るほど自分は彼等のレコーディング数を聴いていないので分からないが・・・)
でも当時のブリル・ビルディングを中心としたヒット曲作りのセッションは余りにも膨大だったので、クレジットされない表に出て来ないミュージシャンもいっぱいいたと思うので断定は難しいのかな
あとナッシュヴィル系になってしまうが、ケニー・バトリーが60年代のボブ・ディランとかゴードン・ライトフット、そしてやはりカントリー系のウェイロン・ジェニングス等
ジャズ系ではロニー・ジトー、ボビー・トーマス、
そしてソウル系はチャビー・チェッカーやディー・ディー・シャープ等の60年代のカメオ・パークウェイのフィリー系ミュージシャンはボビー・グレッグ、MFSBの主要メンバーだったギタリストのローランド・チェンバースの兄のカール・チェンバース辺りがドラマーとしてセッションに参加していたと思うし、デイヴ・アぺル繋がりでイーストコーストのソウル系ポップ系のセッションにも参加していたかも知れない
それにフィラデルフィアは東海岸ではニューヨークの次にクラシックもジャズも盛んなところだったので、ジャズのミュージシャンもアルバイト感覚でポップソウル系のセッションに参加していた可能性は高い
以上に挙げたドラマー達が60年代の東海岸を中心としたセッションドラマーだったとは思うのだが、先にも言ったようにこの時代はレコーディングクレジットがされてないので少しのデータで予測していくしかない
まぁ~パーディは間違いなく60年代から東海岸でセッション活動はしていたと思うけど、70年代になってクレジットされて表に出て来たドラマーはやはりガッド、マロッタ、シュワルツバーグがポピュラー系セッション数が多かった3大ドラマーだと思う
未だ重要な人忘れてた! [Pop]
イギリス出身のドラマー、まだいました!凄いプレイヤー 二人!
ロック系のイメージですっかり先に書いた記事から抜け落ちてましたが、何かイギリスと言うよりもアメリカ人!ってイメージの方が強かったので書き忘れてましたが
サイモン・フィリップスとエインズレー・ダンバー!
前にもここで書いていた事があった、スタンリー・クラークのトリオで(ロックフュージョン系の演奏)演奏を観た事があったサイモン・フィリップス
なんか色んな人のところで叩いていて、ロック系が主だったが、ソウルのセッションもあったみたいで、亡きジェフの後のTOTOにも加入していたイメージが強かったのだが、やはりイギリスで有名、無名に関わらず、かなりのセッションをこなしていたテクニシャン!
そして自分としてはフランク・ザッパのところでの印象が強かった、エインズレー・ダンバー
ジョン・メイオールからブラック・サバス、そしてジャーニーと やはりロック系を中心として幅広く活躍したエインズレー
自分としてはフランク・ザッパのドラマーだと他にチェスター・トンプソンとテリー・ボジオの印象が強く出て来るが、やはりエインズレーもザッパのバンドにいただけあって、かなりのテクニシャンだった。
何か自分も知らなかったくらいで、エインズレーはジェファーソン・スターシップからホワイト・スネイクとか色んなバンドに在籍していたのですねぇ
まぁ~とにかく、ジョン・ボーナムにせよ、チャーリー・ワッツにせよ、イギリスのロック系ミュージシャンも、セッション系を始めとしたテクニシャンなドラマーはやはりジャズから基本を学んだドラマーが多い
その上でロックでもなんでも叩けるのだから、イギリスのセッションドラマーはアメリカのドラマーよりも幅広いとも言える
アメリカでジャズもロックもいけるセッションドラマーって、そんなにいないように思える(素直に思い浮かぶのはガッドとそれこそチェスター・トンプソンくらいか?他にもいそうだが・・・)
アラン・シュワルツバーグもリック・マロッタもロックもいけるけど、中々純粋なモダン系ドラムのセッションは無いと思うし、反対にジャズやソウルもいけるけどロックは・・・って感じのドラマーも多いからねぇ
ジェフ・ポーカロはロックもソウルもいけるけどジャズは無いと思うしね
そういう意味ではさすがソウルミュージックやブルースの影響も受けたイギリスのロック系ミュージシャンは白人でもアメリカ人以上に幅広いジャンルで音楽を吸収して来た人達が多いと思う
イギリス セッションドラマー [Pop]
スタジオ・ミュージシャン好きの自分としては、アメリカのスタジオ・ミュージシャンばかりでイギリスのスタジオミュージシャンで知っている人は余りいない
まぁ~イギリスの有名なスタジオ・ミュージシャンとなれば、ジミー・ペイジとかジョン・ポール・ジョーンズ、リッチー・ブラックモアなど 後にロックバンドのミュージシャンとして有名になった人はいるが、純粋なスタジオ・ミュージシャンとしたら、自分としては先ず、ビートルズの「ラヴ・ミー・ドゥ」のレコーディングの時にリンゴの代わりを務めたアンディ・ホワイトとか思い出すが、
ドラマーに限って言えば、あとはそれこそイエスのドラマーだった、アラン・ホワイトやブライアン・オーガーのところにいて、その後AWBに加入後アメリカに渡りAWB繋がりでアトランティック・レコードの大物プロデューサーのアリフ・マーディンに気に入られチャカ・カーン等のソウル系セッションが多かったスティーヴ・フェローン
あとはイギリスのセッション・ミュージシャン集団のゴンザレスの初期ドラマーだったグレン・レフルールやジョルジオ・モロダー繋がりでミュンヘン・サウンドのドナ・サマーでのドイツレコーディングや後にアメリカでソウルコーラス・グループのファースト・チョイスのレコーディング等でフィリーのシグマ録音やディスコ系セッションが多かったキース・フォーシィ
自分としてはどうしてもアメリカでの活動が多かったイギリス出身のドラマーを思い浮かべる事が多くなる
そんな中で先週の達郎さんのサンソンでも取り上げられていた、アポロ100のドラマーのクレム・カッティーニ、アポロ100の「ジョイ」とか、トルネイドースの「テルスター」、自分としてはオムニバスでしか持ってない曲だが、それらの曲に参加していたクレム
イギリスのセッション・ミュージシャンとして上記のグループや初期のジェフ・ベック・グループでの活動、そして、達郎さんも言っていたようにジミー・ペイジとのセッション繋がりでレッド・ツエッペリンのドラマー候補にも上がった、かなりイギリスのスタジオ業界では古くからの実績を持ったドラマーだった
それ以外には自分としてはクリフ・リチャード&ザ・シャドウズのドラマーでもあったブライアン・ベネットと言うドラマーの「チェンジ・オブ・ダイレクション」と言うソロアルバムもジャズ・ムード系関連で持っているが、これがまた中々良い!
イギリスも勿論、ジャズが盛んなところであったので、ジャズのアルバムも多く出されているのだろうけど、やはりモダン系は自分としては殆ど知らないのだが、ムード系関連では好きな人もいたので、優れたジャズ系ドラマーも多くいたはず
あのサンダーバードのオリジナルTVサントラアルバムも持ってはいるが、結構60年代のラウンジ風なミュージックも入っていて、クレジットは出てないので分からないのだが、やはり優秀なイギリスのスタジオ・ミュージシャンが演奏していたのだろう
個人的にはあのトム・ジョーンズの「ラヴ・ミー・トゥナイト」のバックのドラムの演奏が素晴らしい!と思っている。かなり調べてみたけど演奏者は分からないのだが(ひょっとしたら、この曲をプロデュースしたピーター・サリヴァンが叩いているかもしれない)とにかくノリが良くて、特にロールとフィルインが抜群にカッコいい!ドラムだ
エルトン・ジョン「ロケットマン」 [Pop]
エルトン・ジョンの映画「ロケット・マン」を友人と観て来た
結論を先に言うと、全然良くなかった と言う印象だ。
何か中途半端過ぎて、ミュージカル風な演出もあり、1曲1曲丁寧に取り上げた作品の映画じゃなかったし、かと言ってエルトンの伝記映画としても何か映画の各シーンが無理やり演出しているって感じで、やはり柳の下の二匹目のドジョウはいなかったと言う事になると思う。
友人も「クィーンの映画は二度観に行ったけど、エルトンの映画はもう観に行かないわ」と言っていた
ビル・エバンスの映画は7月に観に行ったけど、こちらの方はドキュメンタリー映画でエバンスの姿も関係者のインタビューも現実としての各シーンがリアルに自分に響いて来て自然と泣けた。
まぁ~アーティストやミュージシャンの映画はドキュメンタリーじゃなく演出する映画にしても、過度な演出はひかえて、やはり音楽に比重を置いた映画にしないと、陳腐な作品になりがちになると思う。
多少の演出や色付けはあったにしてもリアルな部分をベースにして映画を作らないと、そしてやはり音楽の部分を意識した作りにならないと、こう言う映画を観に行く音楽好きな人達を感動させられないと思う(まぁ~感じ方は人それぞれなので一概には言えないと思うが・・・)
そしてあくまでも個人的な意見であるが、まぁ~ハッキリ言って、フレディの時もエルトンの時もゲイやホモセクシャルの部分の演出は「なんかどうもねぇ~」って感じで、音楽家も含めてアーティストは得てして同性愛者が多いと言われているが、それはそれで自分も理解も出来る事なのだが、
その辺の世界を余り具体的に演出したシーンになると自分としては嫌悪感を抱く事にもなり、アーティストのイメージを壊しかねない
エルトンの絶頂期を共に過ごして来た自分としては、エルトンの偉大なアーティストとしての功績を知らしめる事をメインにした映画の方がやはりスッキリしたと思う
エルトンのアルバムはデビューから70年代までのものはサントラの「フレンズ」以外は全て持っているし、それとトム・ベル・セッションズ、ベスト、ボックスも入れると20枚弱は持っている。
アルバム「キャプテン・ファンタスティック」が全米アルバムチャート初登場1位の時は、チャートマニアだった自分は本当にビックリしたね。まさにビートルズを超えた!と本当に思ったものだ。
そして続く「ロック・オブ・ジ・ウェスティーズ」も同じく初登場1位となって、エルトンはまさしく70年代のスーパースターになった。それは40年代のシナトラ、50年代のエルビス、60年代のビートルズ、それと同等の扱いになるくらいの出来事だった。(まぁ~80年代はマドンナかマイケル、そしてホィットニー辺りになると思うけど)
スティーヴィーやイーグルスも70年代の勢いは凄かったが、チャートの勢いはエルトンが圧倒的に凄かった(アルバムだけならツェッペリン、シカゴも凄かった)
とにかくアルバムも1位、シングルも1位が当たり前の怖いものなしの状態だったのだが、自分としては1位にはならなかったけど、やはり今回の映画のタイトルにもなった「ロケット・マン」がエルトンの曲で1番好きな曲だ
エルトンのピアノとデイヴィー・ジョンストンのギター、そしてコーラスが哀愁を漂わせる大名曲だ
あのトランプ大統領が大好きな曲(決してキム・ジョンウンを茶化す為だけに使った言葉ではない)
その「ロケット・マン」に匹敵するくらいの好きな曲は「ママ・キャント・バイ・ユー・ラヴ」あのトム・ベルと一緒にやった曲でフィリー好きの自分としては好きになって当然の曲。この「トム・ベル・セッションズ」のアルバムはやはり全曲良くて、リアルで正式にコンプリートとして発表されなかった事に疑問が残る。
その77年のトム・ベルとの繋がりになって行くきっかけにもなった75年の「フィラデルフィア・フリーダム」も素晴らしいね。シングルオンリー曲だったけど、当時の勢いでこの曲も売れに売れてシングルのチャートアクションも凄かった。
あとアルバム曲としては「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」のアルバムに入っている「グレイ・シール」と「ハーモニー」、そしてアルバム「ブルー・ムーヴス」からは「ワン・ホース・タウン」「クレイジー・ウォーター」も良いねぇ~
まぁ~自分のエルトンの好きな曲を挙げて行ったらキリが無いけど、あまり売れなかった「バイト・ユア・リップ」、そしてバラードの大名曲「ドント・レット・ザ・サン・ゴー・ダウン・オン・ミー」も捨てがたいが、やはり最初にエルトンを知り買ったシングルの「イエス・イッツ・ミー(It's Me That You Need)」は外せない。
でも、さすがに「ユア・ソング」は聞き飽きたかもw
エルトンはポップでもロックン・ロールでもバラードでも とても印象的な曲を書き名曲として残したと思う。
外せないキャロル・キング [Pop]
キャロルキングの「Live at Montreux 1973」のDVD(CD付きセット)がやっと手元に届いた
HMV等で情報を得て、アルバム「ファンタジー」の楽曲を演奏しているステージと言う事で、バックのミュージシャンを確認してから購入しようと思っていたので、発売元のヤマハ・ミュージック・エンタテイメントに電話して担当者からミュージシャン・リストを聞き、間違いなくアルバム「ファンタジー」のレコーディングメンバーが参加しているのを確認出来たのでDVDを購入した。
自分の人生で音楽歴で一番聴いて来たアルバム
勿論!無人島に持って行くアルバム第1位の「ファンタジー」
当時リアルで購入して、このアルバムの素晴らしさが直ぐわかった。
キャロル・キングは自分が洋楽に興味を持った頃「イッツ・トゥ・レイト」がヒットしていた時期でもあり(実際には旧譜扱いになっていた遅れた時期だった)ラジオから良く流れていて、凄く良い曲だなぁ~とは思っていた
だから最初に洋楽シングルとして買ってもおかしくなかったのだが、その曲以上に欲しい曲があったので、ここのブログでも書いているように「イッツ・トゥ・レイト」とは違う5枚のシングルを買ってしまった
それでアルバム「つづれおり」もアメリカで売れに売れていたのは知っていたのだが、ラジオでアルバムとして聴いた「つづれおり」は何か地味な曲が多いなぁ~って中学生のガキながら思っていたので、その次のアルバムの「ミュージック」も、カーペンターズが取り上げてヒットしていた「It's Going to Take Some Time(小さな愛の願い)」もラジオで流れていたし、自分の音楽歴を考えても当然のように素晴らしいと言う評価になる「ブラザー・ブラザー」も入っていたのだが、やはり抜粋してアルバム(LPレコード)を購入していた中学生には、「つづれおり」の印象もあってアルバム「ミュージック」も食指が動かなかった
自分は当時、札幌に出て来た時はいつも何枚かアルバムを買うつもりでいたので、それでムーディ・ブルースの「セヴンス・ソジャーン」や、あと何だったか忘れたけど、アルバムとシングルとかも買って、未だ財布にアルバムを買えるだけのお金が残っていたので、ちょうど「セヴンス・ソジャーン」と同じ時期にキングレコードで宣伝していたキャロルのアルバム「ライムス&リーズンズ」もレコード店で派手に並べていたので、ちょっと視聴しただけで買ってしまった!
それが結果的には(後にはスタジオミュージシャン絡みや、この辺のサウンドが大いに気に入る事になっていくのだが)この「ライムス&リーズンズ」が大いに気に入ってしまって、アルバム「ファンタジー」を購入する事に繋がって行く事になるので、そのような運命になって本当に良かったと思う。
「ライムス&リーズンズ」も「ファンタジー」も購入した中学性の時は、ミュージシャンのハーヴェイ・メイスンもデヴィッド・T・ウォーカーもボビー・ホール・ポーターもトム・スコットも良く知らなかった頃なのだが(高校3年頃に分かるようになったのだが)そんなスタジオミュージシャンを意識しなくても、とにかく「ファンタジー」の特にA面は曲が最初から最後まで繋がっている全曲を何度も聴いていた。
先に挙げたDVDではアルバム「ファンタジー」の中でも自分が1番目と2番目に好きな曲の「ディレクションズ」と「ウィークデイズ」がよりによって入っていないので非常に残念だったのだが、アルバムで「Being at War With Each Other」から「Directions」に繋がって行く流れはもう本当に感動ものだ
もう本当にストリングスが美しくて、デヴィッドのギターは涙が出るくらい素晴らしい!(デヴィッドファンの多くはやはりこのアルバムをデヴィッドが参加したレコーディングで最高傑作だと思っている人が多いはず)
「Directions」のホーンも最高だね 後にスタジオミュージシャンを意識し聴くようになってトム・スコットの音だと分かるようになったのだが、トムの参加もこのアルバムではかなり重要な役割を果たしていると思う
B面はとにかく「Corazon」で決まりだね。
この曲の疾走感は当然ハーヴェイとボビーのリズムが演出していると思う(デヴィッドのギターも当然この曲でも素晴らしいリズムを刻んでいると思う)
DVDを観たが、ハーヴェイも若いし、ボビー・ホールは凄くチャーミングだ!キーボードのクラレンス・マクドナルドの若い時は初めて観た。まだ少年でこの頃から才能があったのか
ベースのチャールズはキャロルの当時の旦那だったから参加しているのだけど、このハーヴェイとデヴィッドが参加している編成なら、この当時ならチャック・レイニーだったと思うし、キーボードはラリー・ナッシュだったのだろうな(マイゼル兄弟がプロデュースしたニューブルーノート関連や、もろマリーナ・ショウのあの名盤とダブるような編成になっていたと思う)
本当にこのアルバム「ファンタジー」はニューソウル系やソウルジャズ系、そしてクロスオーバー(後のフュージョン系)を意識する音楽ファンには絶対外せないアルバム
自分も当時からこのアルバムを夢中になって何度も聴いていた事は、やはりこのブログでも書いたように当時ソウル好きになって行く経緯があった中で、その後にクロスオーバー等のスタジオミュージシャンに興味を惹かれて行くようになるのは必然的な事柄だったのだと思う
キャロルのアルバムはベスト盤等も含めて20枚ほど持っているが、自分的には好きな曲とそうでもない曲がハッキリしている感じなのだが、ここで挙げたアルバムが自分の音楽歴の中でも特に重要なアルバムになっている
キャロルのステージは本当に一度観てみたい
東京でも日本に来たら、何とかしてでも観に行きたい
この時代の70年代の音楽を聴いたり、このように当時のDVDを観たりしていると、今は何でこんなにも感動して目頭が熱くなるのか
誰でもある事だと思うけど、音楽だけじゃなく本当にあの当時の色んな思い出も蘇って来て、「自分は年を取ったんだなぁ」と、しみじみ思うし、音楽好きとして本当にタイミング良くこの素晴らしい70年代の音楽と共に青春時代を過ごせた運命に感謝している
最初に買ったLP [Pop]
最初に買った記念すべきLPはカーペンターズの日本の編集盤のベストアルバムでした。
先に書いているように、カーペンターズのシングル「スーパースター」を買って、良かったのと当時はカーペンターズの人気が凄かったので、やはりカーペンターズのLPを買ったんだと思う。
まぁ~その前に向かいの家の年上のお姉さんが、やはりカーペンターズのLPを持っていて、LPを聴かせてもらった時バカラックメドレー等の曲が良かった印象があったと記憶している。
当時流行っているラジオから流れるシングル曲くらいしかまだ知らなかった時に、シングル曲以外の曲を聴いて、カーペンターズは他にも凄く良い曲も歌っているんだなぁ~と思って、中学生には高価だったLPを思い切って買ったはず。
LPを実際に聴いてみて、ビートルズのカバー曲とバカラックの曲がやはり印象が良かった、この頃は未だヒット曲以外のアルバム曲なんて何回も聴く気にならなかったと思うが、やっぱりビートルズの曲とバカラックの曲は元々素晴らしい楽曲だったので未だ洋楽を聴き始めた中学生が何回も聴く気になったのだと思う。
レノン&マッカートニー、バカラック&デヴィッドはやはり素晴らしいライター達だったのだ。
そしてその時は良く分からなかったが、ポール・ウィリアムスとロジャー・ニコルスのコンビも素晴らしいライターチームと後から気付くことになる(「雨の日と月曜日は」の曲は最初から良い曲だと思ってはいたが)