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上原ユカリ裕さん [邦楽]


何か乗って来たって気分で、書いてます


日本人の好きなドラマーもいっぱいいる 


自分としてはやはりセッション系の人ばかりになるのだが、山木秀夫さんは一度も生で観たこと無いけど、凄いドラマーだと思う。

山木秀夫.jpeg


ポンタさんは一度エポのコンサートのバックで観てる。ポンタさんは日本の音楽業界、スタジオ業界を引っ張って来た人だけど、素人目から見ても堅実なリズムをキープ出来る、もちろんテクニシャンなドラマーだと思うけど、余り華があるようなドラマーとは思えない。


ポンタさんは勿論スタジオミュージシャンとして何でも無難に叩けるドラマーなんだけど、例えば、スティーヴ・ガッドがディスコ系で一定のビートを同じように正確に叩けるのも、フュージョン系でどんなリズムも正確に叩けるのも、やはりガッドのテクニックが凄いのは分かる。


でもガッドが4ビートをやるとなんか無難と言うか、正確すぎて4ビートのノリのグルーヴ感って余り感じなくて面白くない。ポンタさんもジャズはそう言うところがあると思うし、やはりガッドと同じくポップ系やフュージョン系に強いドラマーだったのだと思う(だからと言ってガッドと同じような感じで語れるドラマーではないと思うが・・・)

村上ポンタ秀一.jpg


その点、今は亡き青山純さんはロック系出身のドラマーだけあって、先ずモダン系ジャズの演奏は殆どしたことがなかったのだと思うけど、ビートの力強さと正確さ、そしておかずの入れ方、ハッキリ言ってやっぱり達郎さんの現在のバックドラマーの小笠原さんよりも青山さんの方が迫力はあったと思う。


まぁ~青山さんが偉大過ぎたので、青山さんと比較したら小笠原さんが気の毒だと思うけどね

青山純.jpg


あとは日本のスタジオドラマーのパイオニア的存在だった石川昌さんを筆頭に、渡嘉敷祐一さんとか、島村英二さん、江口信夫さん、そして70年代、ポンタさんとスタジオセッションの仕事を二分してきた林立夫さん、ちょっとその辺りのグループには入れにくいが、初期はジャズやロック系セッションも多かった つのだ☆ひろさんとか

石川昌.jpg

渡嘉敷祐一.jpg

島村英二.jpg

江口信夫.jpg

林立夫.jpg

つのだ☆ひろ.jpg

そしてグループ系出身だった、高橋幸宏さんとか神保彰さん、岡本郭男さん、最近の人は殆ど知らないけど、その中でも玉田豊夢さん、他にもいっぱいいると思うが、その辺りが頭に浮かんでくる。

高橋幸宏.jpg

神保彰.jpeg

岡本郭男.jpg

玉田豊夢.jpeg


その中でもやはり達郎さんと結びつきが強かったドラマーの上原ユカリ裕さん


上原さんは大瀧さんにも重宝がられて大瀧さんのレコーディングにも必ず参加していた人だ。


その上原さんなのだが、その上原さんが忙しいくらい活躍していた時代じゃなく、かなり後に自分が知ったのだったが、


なんと!上原さんは、あの伝説的なロックバンドの村八分のドラマーだった!ということを知ってびっくりした。

上原裕.jpg

村八分.jpg


自分は勿論、当時から村八分の事は知っていたが、日本のロックだったし、いかにもアンダーグラウンド風で危なさそうで、外道とかと同じくレコードを聴くようなことはなかったのだが(村八分のファンは外道と一緒にしたら怒ると思うがw)


上原さんがシュガーベイブに参加していたことを思うと、余りにもかけ離れた経歴と言う感じがして、自分としては最初は理解出来なかったほどだった


村八分とシュガーベイブは正に180度違う音楽だと思っていたし、現に村八分の山口冨士夫だったか青木真一に、上原さんがシュガーベイブに行ってしまったことを非難されていたはず。


でも達郎さんは音楽性はシュガーベイブとかなり違っていても、村八分の事は当時も今も理解していたと思う。


AC/DCもフリージャズも聴く達郎さんなら、ハードなものや当時のアンダーグラウンド的なアナーキーな音楽、アバンギャルドなものまでも理解していたはず。


前に音楽チャットで山口富士夫つながりで裸のラリーズを聴かせてもらったことがある。関西の人でロック系が大好きな音楽好きな人だったが、とても興味深かった。


当時のロックの創成期に(それもハード系)、GSの流れからこのようにハードなノイジーな音楽としてアンダーグラウンドに流れて行って生まれて来た音楽として、音楽史を考えても十分自分としても理解出来る。


ユーチューブで上原さんが村八分で叩いていた演奏を聴いたことがあるが、リズムの正確さのタイム感、ビートの力強さを聴いて、とても荒れたロックバンドのドラマーとは思えないほどのテクニックの持ち主だったと分かる


上原さんはやはり当時から関西ではものすごいテクニックのドラマーとして有名だったそうで、大瀧さんに認められたのも良く分かる。


70年代初期及び70年代になる前はジャズ系出身のスタジオドラマーが殆どだったと思うが、70年代に入ってからポンタさんとか上原さんのようにロック、フォーク系のバックで演奏していたドラマーでもテクニックがあれば十分スタジオミュージシャンになれた時代がやってきて、青山さんに繋がって行ったんだと思う。


上原さんはシュガーベイブのあと、スタジオの仕事も多かったが沢田研二のバックでも演奏していたが、村八分の名残もあったせいか、かなり派手なビジュアル系の化粧や衣装だった記憶もある。


先にも言っていたように達郎さんのレコーディングでの「ソリッド・スライダー」「レッツ・ダンス・ベイビー」「ボンバー」「ファンキー・フラッシン」などの名曲が上原さんの名演によって生まれたと言っても過言ではない。




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