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音楽ジャンル [音楽]


世の中にはアーティストも含めて「ジャンルは関係ない!」「決まったジャンルにカテゴライズされたくない」と言う人がいるが、自分としてはやはりジャンル分けした方が管理しやすいし、人にも説明しやすい場合があると思っているのでジャンル分けは必要だと思っている。


ただ、正直言って自分としてもジャンルだけで聴かず嫌いのものは確かにある


例えば、レゲエ、パンク、まぁ~演歌と韓国やアジア系は最初から論外だけど、演歌の中でも洒落たもの(例えば、坂本冬美の「夜桜お七」など)や、昔の歌謡曲でも優れた楽曲、名曲はあると思っている(水原弘やちあきなおみの「黄昏のビギン」特に水原の方のストリングスアレンジは素晴らしい!。それにしても中村八大さんと永六輔さんは後世に残る素晴らしい楽曲を残した我国の歌謡曲史の最高のコンビだと思う)


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自分は大まかに言えば、ジャズ、ロック、ソウル、ポップを中心に細かく分けたものでも、90年代くらいまで大体聴いて来た(90年代はヒットチャートに上がったようなアーティストだけ。打ち込みハウスやラップのダンス系もオルタナやミクスチャーのロック系も一応聴いて来た)


そんな中でもやはりジャズとソウルは特に好きだ


ジャズも細かなジャンル分けをするといっぱいあるが、モダンもスウィングもフリーも、ヴォーカルもクロスオーバーも(スムースジャズはダメw)そしてムード系もラウンジもエキゾチックも70年代以前のジャズなら(ヨーロッパ系フリーとか以外なら)アメリカを中心にほぼ何でも聴いてきた


モダンの王道のマイルスもエバンスもレコードと後のCDになってからのアルバムをボックスセット等でも揃えてそれぞれアルバム単位の100枚以上揃えて保有して来ているので、公式盤と言われているものはコンプリと迄はいかなくてもほぼ全部持っている。


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シナトラは公式盤はオリジナル盤仕様ではないが、公式音源は全部聴けるようにしてやはり100枚以上は持っている(たぶん自分が持っているアーティストのアルバム数で言えばレコードとCDのダブりも含めて最高の数の150枚くらい)


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ビートルズもマニアックに揃えたので、ダブり必然だが、100枚以上になっている。


あと意外なところでは、バーブラ・ストレイザンドもアメリカまでコンサートを観に行ったくらいの大ファンだから、ほぼ全部の公式盤は揃えて持っている。


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ジャズのカウント・ベイシーやキャノンボール・アダレーも結構多いし、ソウルも大物のスティーヴィー、マーヴィン、アース、モータウン系、フィリー系のメジャーどころのものは芸歴が長いのでアルバム数も多くなるが大体揃えて持っているねぇ


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とにかく自分は気に入ったアーティストは出来るものなら全部の曲を聴いてみたい!と言う欲求で、アルバム単位で揃えて購入して来た


邦楽では当然、達郎さんもそうだし(公式盤は当然のようにコンプリート)、美奈子さん、ター坊、エポ辺りは黄金期のものはデビューから揃えて持っている


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世の中には各ジャンルのマニアがいっぱいいる


ジャズマニアなどはもうコアなマニアだと自分も知らないことをいっぱい知っているし(アーティストもエピソードも)ソウルマニアもそうだ、特にスィートソウル系のマイナーなところやレアシングルを掘っている人には自分も叶わない。


ロックだって当然ロックマニアの凄い人も相当な数になると思うので、自分としてはロック系はそんなに深くは掘ってないので、ロックマニアの人に教わることもいっぱいあります


自分は夢として音楽評論家になりたかった夢もあったのだが、なんせ楽器も出来なく、音楽理論も分からないので、これだけ音楽を聴いて来たので、音だけでは何となく「理論的にこういう事だったのか」とか、よく使われている音楽用語は分かる言葉もあるけど、やはり言葉として音や楽器の演奏の仕方を表現するのは中々出来ない


それに各ジャンルの音楽も跳びぬけて、上記に書いたように誰よりも得意なジャンルも無かったので、各ジャンルの誰も知らない深いところを文章にして書けるほどの自信も無かったのだが、オールジャンルで幅広く深く書くと言う事にはかなり自信を持っていた。


だからそう言うオールジャンルな音楽評論家になりたいと、そう心に思いながら色々と音楽を聴いて来た自負はある。


自分が敢えて得意とするところは、スタンダードナンバー関連とスタジオミュージシャン系の辺りが最も得意とするところ


スタンダードは今となっては物忘れが激しい歳になってしまったので、作者名も直ぐに出て来なくなっているが(有名どころの楽曲でも)専門本などを何冊も購入して見て来ているので、結構意識して知識として身に付いたと思っている。


スタジオミュージシャンについては、やはりレコードのクレジットを意識して見るようになって、自然と「あっ!このミュージシャン、ここにも参加している!」等と、名前を見付けて喜んだり、繋がりを確認して感心したりしている内に、当時のクロスオーバーブームでスタジオミュージシャンが広く表舞台に出て来た時代があり、知識としてかなり身に付いた


自分は眠くなるようなムード系やBGMでもかかるようなラウンジミュージックも好きで、50年代~60年代のアメリカとイギリスのムードミュージック・オーケストラものも凄く好きで、この辺もやはりスタンダード好きな繋がりから大好きで聴いて来た(例えばジャッキー・グリースンとかエキゾのレス・バクスターやマーティン・デニー)


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まぁ~世の中も世界も広いから、ハードメタル系も聴いてムード系も聴く人は少なくても中にはいると思うけど、自分はそのメリハリも、その時の気分で使い分けでいろんなジャンルを聴いている


まぁ~フランスのポール・モーリアとかレイモン・ルフェーブルとかはダメなんですけどねw どうも自分が洋楽を聴くようになったポップスをカバーしているような軟弱なムード系はダメでして(70年代以降の)、やはり50~60年代のスタンダードを重厚で華麗なサウンドで演奏している壮大なオーケストラサウンドものがゴージャスで洒落ていて気分を休めたり、方や雰囲気を楽しむのに高揚した気分で聴いたりしている


とにかく現在、CDや中古レコードものを買うにしても、ほぼ全部リイシューものかCD化されていないオリジナルの中古レコードを購入するのが殆どだ


レア・グルーヴ系などを追っかけていると、全然知らなかったものや、知っていても当時から持っていなかったアルバム等を「もうとにかく聴きたくて、聴きたくて」と言う衝動に駆られ財布と相談しながら購入している


ここでも以前から書いて来ているように、購入して来たCDを中心に順に処分して手放すようにしているのだけど、それでもやっぱり今でも購入しちゃっていますw


まぁ~切りが無いと言うか、いつか終わりが来ると思うし、達郎さんもラジオで言っていたように終わらなきゃいけないのだけど、欲求と使える金がある限りまだまだ続いて行きそうだ・・・


ここに挙げたアーティストやミュージシャンについても、色々と書いていきたいところだが、書きたいこともいっぱいあるし、何から書こうか色々迷っちゃって中々書けないでいるが、又書きたい気分が盛り上がった時にも書いて行きたいと思っている

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音楽ファイル整理 [音楽]


久しぶりの記事投稿の流れで、音楽ファイルの話も書いておこう


今年の7月に新しいPCを購入しているのだが、以前からメインマシンとして使っていた、OSがウィンドウズ7の時のHDDをそのまま音楽データとして使おうと思っていたので、新しいマシンに取り付けていたのだが、


HDDはウェスタンデジタルと言うメーカーのラプターと言う耐久性の強いHDDだったので、ラプターの容量1Tと600GB、そして同じくウェスタンデジタル製のブラックラベルの容量1Tの計3台を音楽データとして新しいマシンに移動していた。


自分の使っている音楽プレイヤーソフトはずーっと使い慣れていたので、WMPとアイチューンズだった。


それで過去にも音楽ファイルのWMPでの再読み込みの時に、余りにもファイル数が多過ぎて、一度に全部を読み込ませると必ず途中でパンクしてしまうので(WMPが固まって動かなくなる症状)小分けにしながら読み込ませるようにしていたのだが


今回も当然、新しいPCに移行してWMPに音楽ファイルを読み込ませようとして、各ジャンルのフォルダごとに小分けに読み込ませても、何度やっても途中でパンクしていたので、途中でもう諦めて、時間をかけてじっくり読み込んで行こうと思いながら、やっと4か月目にして先日全部読み込ますことが出来た。


自分の保有しているCDは全部、アルバム単位で全曲MP3ファイル化しているので(WAVファイルにしたら、HDDがの容量が相当必要になり、金もかかるのでMP3ファイル化している)それだけで10万曲以上になるし、アナログをMP3化した音楽ファイルも入れたら全部で12万曲以上になる。


未だレコードを音楽ファイル化していないものがかなりあるし、90年代に購入していたCDの音源はWMPに読み込ませてないファイルも結構あるので、本当にこれからアナログ音源を音楽ファイルにしたものを読み込ませた合計は恐らく最終的には15~16万曲くらいになると思う(それ以外にもまだCD購入中ですが・・・)


意外とその音楽ファイル化したものをその都度WMPに読み込ませていけば、途中でパンクすることなく全曲ファイルをWMPに読み込んでいけると思っている


アイチューンズは途中でパンクすることなく全ファイルを読み込めると思っているのだが、この際だから曲評価のデータも入れながらアイチューンズに入れている作業中なので、アイチューンズはまだ全ファイルを読み込んでいない


自分はメタファイルとして曲名、アーティスト名、ジャンルは勿論だが、アルバムジャケット、作曲者名、アルバム発表時の年度、曲評価、場合によっては曲によってのヴォーカル担当者までデータとしてWMPに入れているので、そういう面でも整理するのに一番使い慣れているのでWMPじゃないとダメなんです。


試しに海外のものも使ってみているのだが、(メディアモンキー等のソフトも入れて、ファイルを全曲読み込ませているが、どうも使い難い)WMPは音の評価も余り高くないのだが、上記のようなデータを入れて使い慣れている以上、やはりWMPが一番使いやすい


世の中も世界も広いので、CDもレコードももっと凄い数を保有しているマニアも当然いると思うのだが(それこそ達郎さんもその一人だと思うし、クリス松村とか、ジャズマニアの落語家の林家正蔵(こぶ平)、アナウンサーの小倉智昭等)、万単位、何十万単位でCDやレコードを保有している音楽マニアは結構いると思うが、


ネットで見たら音楽プレイヤーに曲を取り込んでいる曲数なら、何か最高は15万曲らしいと書いてあったが、自分はいずれ最高者になれるのかな?w


まぁ~ハッキリ言って、どんな曲でも最低一度(いや、二度)は聴いているのだが、もう3度目は聴いていない曲もあると思う(アルバム単位の曲の中で)


だけど、現在も手放し中のものもあるが、いずれ全部のCD,レコードを手放して整理をしようと思っているので、あくまでも自分の記録として残しておきたいし、やっぱり又聴きたくなった時にどんな曲でも持っていたものは聴けるようにしておきたいので、しっかり整理してデータとして残しておきたいのでWMPに全曲入れれるようにして行く予定だ


ジャズなんかは本当はパースネルから録音時、あと録音スタジオまでもデータとして残せるようにしておきたかったのだが、そんなことしたら時間がいくらあっても足りないし、それだけのデータを入れるスペースも無い


とにかく新しくPCを入れるという事は新たに設定し直さないといけないことも結構あるし、まぁ~自分はゲームはしないし、音楽関連とネット、ネットショッピングがメインなんで余計な事は余りしないし出来ないから、難しく面倒くさい設定は余りないと思うので、ここに来てウィンドウズ10の使い方もやっと慣れて来た。


まぁ~音楽が無いと何もすることが無いって感じで、死ぬまで自分はこうやって過ごしていくんだろうな~(さすがに危篤状態になったりして入院したら、そうはいかないけど)


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NY旅行 [音楽]


そんな訳で 1980年の2月に初めての海外旅行で大学生の春休みを利用して、当時はJALの「ゼロツアー」と言うものがあって、行きの到着NYと帰りはLAで、到着日、出発日だけ決まっているツアーでアメリカ1か月旅行に行きました。


目的は勿論 音楽を聴くためという事で行った


そのツアーは正に自分の目的にピッタリのツアーで 全然観光目的で行った訳じゃないので、スケジュールも決まった行程のツアーじゃなかったので、オール現地自由行動って言うツアーだった。


だからNY2週間、LA2週間でほぼ予定したのだけど、LAにいた時は4日間くらいラスヴェガスに行った。


一番の不安は 勿論英語の会話だったのだけど、これは本当に怖いもの知らずの大学生で勢いだけで何とかなると思って行ったから、NYも怖い時があったけど、怖い思いは一度もしなかった。


とにかく不安だったのはNYからLA行く時の空港内の飛行機の案内アナウンスが良く分からなくて間違って違う飛行機に乗っちゃったら、あるいはチケットを取っていた飛行機に乗れなかったらどうしよう!って言うのが、行動中の一番の不安だったかもしれない


まぁ~NYの帰りのタクシーで見事にボッタクられたけど(まぁ~地下鉄で行けば良かったのだが)それほどのバカげた損失にもならなかったので、LAで音楽とは違ったところでの失敗談はあったけど、まぁ~こう言うブログでは書けないエピソードですがw


まぁ~あとは大きな痛手を被ったり、被害にあうようなことも無かったので(一部を除けばw)良い旅行が出来たと思う。


ケネディ国際空港に着いてマンハッタンに向かった時は本当に感激したね


夢にまで見たNYの景色、マンハッタンの景色だった


音楽目的で行ったから、NYは経済でも文化でもアメリカの中心地なんだけど、やっぱり音楽が一番似合う街だと言うのが自分の第一印象だった。


まぁ~昼頃NYに着いたんけど、当然のように時差ボケになったし、冬の気候ってこともあってそれから3日ほど風邪気味で過ごした。


でも着いたその日の夕方から早速行動した。大体行きたいお店は日本で調べていた事もあり。


先ず当時フュージョン系のブレッカー兄弟が(バンドのブレッカーブラザーズのメンバーとしての)経営するクラブの「7thアヴェニューサウス」に行きたいと思っていたのでマンハッタン南部の方なので、歩いて行けるのかどうなのか、先ず向かって見ようという事で街中に夕方頃から出て歩いた。

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ここで本当に作り話のような出来過ぎた正に運命とも言える偶然に、NYに着いた初日から結果的に本当に一生の思い出になって行く経験に遭遇した。


それは偶々路上で声をかけて、上記のクラブの行き方を黒人の方に聞いたのが運命の出来事の始まりだった。


その方は凄く親切で、タクシードライヴァーに場所を告げてくれて、自分をタクシーに乗せてくれたのだが、その時にその黒人の方から別れ際に名刺をもらった。


クライド・デイヴィスと書いてあって、オフィス事務所の名前も住所も書いてあった。


先ず取り合えず先のジャズクラブには行って、無事に店に到着して場所も分かったので店のスケジュールを見て次回行く予定を決めただけでホテルに戻って来た。


それで、その名刺なのだが、クライドは勿論初めて会った一般の人で当たり前だが分からない人だったのだが、名刺の中に「ポール・グリフィン」と書いてあったのだ。


そしてクライドがどうも音楽関係の事務所に勤めているらしい人と分かった(名刺にミュージックと言う文字があったから)


という事は、ひょっとして「ポール・グリフィン」とは「あのポール・グリフィンなのか!?」と思い始めた。


これはもしそうだったら 本当に凄いことだと思い始めて、その日は興奮で寝れないくらいだった!(だから時差ボケと疲労で余計に風邪をこじらせたのだけどw)


それで次の日か2日後に、そのポールの事務所も調べたら(マンハッタンは札幌のように碁盤の目だし、ビルに番号が振っているので)意外と近くで行けそうな感じだったので、とにかく思い切ってそのビルに行ってみる事にした。


NYはその当時から商業ビルと違ってオフィスビルには自由に入れないところもあったし、トイレは鍵を持っていくくらいだったから保安上ビルの中に入るのは厳しかったので、出勤時間に当たる朝9時頃からビルの玄関前で待っていた。


どのくらい待ったかなぁ まぁ~ビジネス時間でもあったけど、クライドがいつ来るか全く分からない中で待っていた 1時間もしない内にクライドが来たのだったかなぁ まぁ~とにかく無事にクライドと再会出来たのだ!


クライドはまぁ~2日ほど前の出来事だったとはいえ、それでもしっかり自分の事を覚えていてくれた。


それでとにかく舞い上がっていた気持ちで、「自分は音楽を聴きにアメリカNYに来た、そしてこの名刺に書いてあるポール・グリフィンとは、あのミュージシャンのポール・グリフィンなのか?」と聞いた。


そうしたらクライドが「そうだ!」と言ったのだ!もうひっくり返りそうなくらいの気持ちになった!!!


ポールはセッションミュージシャンで、古くは有名なところではボブ・ディラン、ポール・サイモン、クインシー・ジョーンズ、カーリーサイモン、ポップ系からジャズ系まで、そしてあの!あの!スティーリー・ダンとかのレコーディング・セッションにも参加しているポール・グリフィンだったのだ!!!!!


自分はスタジオミュージシャンに興味があったから、ポールの事は知っていたのだ、古くはコロンビアレーベル系のセッションマンとしてキーボード・プレイヤーとして、その中でもオルガンプレイヤーとして特に有名な知る人ぞ知るミュージシャンだった


そんなことで早速、事務所に連れて行ってもらって、もうメチャクチャな片言の英語でポールの事を良く知っていることも、とにかく音楽が好きなことも、感激しながらクライドに伝えた。


そうしたらその自分の情熱が通じたのか、ポールは忙しいので中々事務所に来れないけど、(クライドとポールの二人だけの事務所だった)「良かったら毎日でも遊びに来い」と言ってくれた。


「もう本当にこんな偶然があるんだ!」「いきなりNYの初日から夢みたいなことが起きるんだ!」と、もう普通の感激の表現が出来ないほどの半端ない感激で夢心地だった。


それからほぼ毎日、先ず朝にその事務所に行く事が日課になってしまった。そうしたらNYには「ヴィレッジ・ヴォイス」と言う情報誌が街中のスタンドでどこでも手に入るから、それを見て行きたいところを予約していくように教えてくれた。


そうしてマンハッタン内のクラブ巡りをヴィレッジ・ヴォイスを見ながら始めた。


クライドには他にももの凄い貴重な経験をさせてもらった!!!


先ずハーレムの友人のアパートに連れて行ってもらったこと、そしてパーティでみんなでピアノを囲んでゴスペルを歌っていたのを観た!当時でも怖いハーレムに連れて行ってもらって、黒人の生の日常生活、音楽を経験させてもらったのだ!


教会にも連れて行ってもらったし、風邪を治す為に風邪薬も良いものも勧めてもらったり、そして違うパーティにも連れて行ってもらった!


そしてポールの音楽上の付き合いから、ラルフ・マクドナルドのレコーディングエンジニアのエディ・ヒースの事務所に連れて行ってもらったのだ!


エディーは有名なところでは、ロバータ・フラック。そしてあのグロヴァー・ワシントン、そしてナベサダとも(後に繋がりの話もある)仕事をしてきた人で、事務所にはエディがレコーディングに関わったアルバムが飾ってあった


エディとはしっかり握手もして「あなたの関わった音楽が大好きなんですよ」と言って別れた。


本当に夢のような出来事をいっぱいクライドのお陰で経験させてもらったのだ。


結局ポールとは一度だけ事務所で会った そして後にポールとはナベサダのバックで札幌に来た時に再会を果たしのだった


音楽ライブの経験談、他のエピソード等いっぱいあるので また分けて書きたい


ポールは2000年に亡くなっている 札幌でマリーナ・ショウのバックでチャック・レイニーと再会した時に「亡くなったことはそうだ」と言っていて、悲しそうに話してくれていた。

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下はオノヨーコとのセッションの写真で、アルバム「It's Alright (I See Rainbows)」の時のレコーディングセッションの時のフォトだと思うが錚々たるメンバーが写っている

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ポールは最後列の左端、その横が自分の大好きなベーシストのニール・ジェイソン、その右横はパーカッショニストのブラジリアンのルベンズ・バッシーニ、中央の小野ヨーコの右がギタリストのジョン・トロペイ、前列左がドラマーのヨギ・ホートン、そしてその右横がスティーリー・ダンの「輝く季節」のギターソロで超有名になったギタリストのエリオット・ランダールだ!





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旧厚生年金会館絡みの続き話 [音楽]


勢いとはこんなもので、結構書きたい気持ちが続いている


まぁ~ブログは日記的な意味合いもあるので、自分の記録の為にも書いておこう。


先ず、達郎さんのコンサートの話の続きだが、自分は達郎さんのコンサートで一番良い席でも1階の10列目以下だったし、今回も過去も殆ど二階席が多かった。


過去の厚生年金会館のコンサートでも、流石に最前列は無かったが2列目はあったと思う。


誰のコンサートの時か忘れちゃったけど、やはりジャズ系だったのは確か(ソニー・ロリンズだったような気もする)


でも、達郎さんのコンサートのように二階席になった事は一度も無かった(まぁ~それだけ競争率の高いアーティストのコンサートでは無かったとも言えそうだが、結構満席はあったと思う)


ほぼ全部の過去のコンサートが悪くても1階の10番台迄の席順で観れた。


その頃は前にも言ったけど、若かったしステージに近かったので、ミュージシャンに聞こえるように声をかけて叫んだこともあったw


札幌のゼップでは、あのデヴィッド・T・ウォーカーが開演前のステージでチューニング中にデヴィッドに片言の英語で呼びかけて話したことがある(会話と言うものではないw)

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昔はチケットを購入しにチケット販売の窓口に行った時に席順を見て購入できたので、早い者勝ちで空いていれば良い席が取れた。


あの頃は熱かったなぁ~


70年代後半から80年代初め頃までは、札幌に来たジャズ系フュージョン系のアーティストは殆ど観に行っていたと思う。


ロバータ・フラックの後はちょっと間が空いて、札幌の自宅に住んで大学に行ってからの1978年の笠井紀美子ウィズ・シーウィンドのコンサートを観に行った。


当時のクロスオーバー(今で言うフュージョン)に夢中になっていた時だったので、笠井紀美子よりもシーウィンド観たさで行ったコンサートだった。


別に最初からサインをもらうつもりで持って行った訳ではなかったのだが、当時買ったシーウィンドのセカンドアルバムを持参してコンサートに行った。


後々シーウィンド・ホーンとしてジェリー・ヘイを筆頭として引っ張りだこになるシーウィンドの前だったし、笠井紀美子のコンサートだったので、シーウィンドファンでコンサートに来た人なんてほぼいなかったような感じだった。


コンサートが終了して、会館内の通路に出て結構のんびりとしていて観客が殆ど帰った頃、今では信じられないが、関係者とか警備の方もいなかったので、ダメもとで楽屋はこっちの方かと思い二階に上がって行き、誰に引き留められる事も無くあっさり楽屋の方まで行けた。


そうしたらシーウィンドのメンバーが部屋の前のロビーで全員くつろいでいたので、もう自分は舞い上がった状態でメンバーのところに寄って行き、購入したパンフの各メンバーの紹介のところに全員からサインをしてもらった。


そうしたら丁度、笠井紀美子さんも楽屋から出て来てサインをもらい、確か「直ぐにこれから東京に帰るんだ」みたいな話を笠井さんとした記憶がある(最終便で帰ったのだったのだろうか)


とにかく貴重な経験をさせてもらった。まぁ~振り返って思ってみても、いくらあの当時でも、そんなコンサート会場で無防備、無警備な状態でもなかったはずだし、まぁ~どちらかと言うとマイナーなジャズ系のアーティストの人だったし、未だクロスオーバーと言うジャンルの大ブームが起きる前の地方公演だったから、もう笠井さんもメンバーもすぐ帰るような状況だったから、そんな展開の場が持てたのだと思う。


もう本当に嬉しかったねぇ~ お目当てのシーウィンドのメンバーのサインをもらえたのだからね


そしてこの事が、後の当たり前のようにしてサインをもらうようになるきっかけになったのであった。

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次はナベサダのコンサートだったと思うが、その時はバックメンバーもかなり有名な知る人ぞ知るスタジオミュージシャンばかりのメンバーだったから、近づくのは無理っぽい感じでもあったのだが、


すっかりもう気持ちは「サインをもらうんだぞ!」と言う気持ちになっていてw、もし係員に止められてもプレゼントを渡すと口実にする為にと、予めプレゼントまで買って用意していったくらいでコンサートに行った。


ドラムはもうその時は大好きなドラマーの一人だった ハーヴェイ・メイソン(当時からマイ・フェイバリット・アルバムの1枚だったキャロル・キングの「ファンタジー」のドラマー)、ベースの名手 チャック・レイニー(アレサやスティーリー・ダンのアルバムで知っていた)、そして同じくアレサ関連とダニーのライヴで有名だった、当時、人気急上昇中のスタッフのギタリスト コーネル・デュプリー、名アレンジャー デイヴ・グルーシンの弟のキーボード ドン・グルーシン、ブラジル出身のセッションが多忙になっていたパーカッショニストのポーリニョ・ダ・コスタ、そして日本人のギタリスト 増尾好秋、トロンボーン奏者の福村博 以上のメンバーだった。

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コンサートのアンコール時に座席を離れこっそり楽屋に上がった。これまた笠井さんの時と同じくあっさり行けた。当時はナベサダの人気もクロスオーバーブームで大人気だったから、ガードが固くなかったのが不思議なくらいだった。まぁ~今にして思えば、アンコール時だったから観客とは思われず誰にも引き留められなかったのだと思う。


そして楽屋のロビーで待っていたらメンバーがリラックスして戻って来た。それで各メンバーに札幌のお土産を渡しサインしてもらった 勿論渡辺貞夫さんにもだ


ステージ後のメンバーはリラックスしているし、それにロック系やポップ系の大スターと違って気さくな人ばかりだったので全然問題なしだった。


これにすっかり味を占めて、このやり方で以後もコンサートでサインをもらえたし、無理だったとしても、当時は外タレは札幌ではグランドホテルに泊まるのが定番だったので、グラウンドホテルのロビーで待っていてサインも良くもらった。


中には引き留められた事もあったが、関係者の人みたいな事を言って問題なく楽屋に行けた(全然業界人には見えなかったと思うが、知人だと思ったんだろうw)


唯一札幌でサインをもらえなかったのは ウェザー・リポートのメンバーだった。ウェザーはジャコを筆頭に人気も高く、ガードが固すぎて全然近付けなかった。


サインもらったメンバーを全員書いていったら、100人以上になると思うし、当時は自分の部屋にサインを飾っておいて、友人からラーメン屋だと言われていたw


その後NYに旅行したりなんかして、益々ミュージシャンと接することが出来たりした。


そんなこともあって、本当は音楽業界に就職したいくらいだったが、コネも無かったし、札幌の大学生じゃ音楽関係(業界)のアルバイトも出来なかったし(精々レコード店のバイト)大学卒業後は普通のサラリーマンになってしまったw

 

サインをもらった各メンバーの事は又詳しく書ける機会があったら書いていこう












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何気にデヴィッド・ゲイツ [音楽]

最近 ブログを書くとなると 達郎さん関連で繋がった記事ばかり続けて書いているが、又も繋がりで達郎さんのサンソン特集の「ブルータス」にも取り上げられていたデヴィッド・ゲイツについて書こう
達郎さんは自分よりも一世代上の世代の人なので、青春時代の中心は達郎さんの場合はやはり60年代になるので、70年代中心の自分としては60年代のヒットポップスはやはり知らない曲も結構ある。
ブルータスに出ていた曲はアーティストは知っていても、例えば自分はジョ二ー・バーネットのベスト盤は持っているけど、あのリンゴのカバーで有名な「ユア・シックスティーン」は勿論入っていても、達郎さんが書いていたゲイツの曲などは入っていなかったので、ユーチューブで聴いてみたけど、やはり60年代のポップスで自分としては特に惹かれるような曲でもなかった。
60年代のいわゆるブリル・ビルディング的な曲は中には後世に残る(残った)名曲もあるけど、モータウンと違って取り留めの無い曲がやはり多いね
デヴィッド・ゲイツは自分にとってはブリル・ビルディングの作曲家時代よりもやはりブレッド時代だ
邦題「灰色の朝」は1969年にアメリカではヒットせず、3年後の日本でヒットしている時に買ったシングルだった
アメリカではナンバー1ヒットの「二人の架け橋(Make It With You)」以後ヒットが続き、自分は「愛のわかれ道(Baby I'm-A Want You)」が大好きな曲だった
ブレッドはヒット曲が続いていたのでアメリカでも2位まで上ったベスト盤「The Best of Bread」を買って、過去からの良い曲がいっぱい入っていてブレッドって良いグループだなぁと思っていた。
そして後から知ったのだが、メンバーのラリー・ネクテルが凄いミュージシャンだったのを知って感激した。
あのレッキング・クルーのメンバーで数々のレコーディングに参加してきたラリー、世界中の誰もが知っている、あのS&Gの「明日に架ける橋」でイントロのピアノを弾いていた人 殆どの楽器を弾けるマルチプレイヤーのラリー
スタジオミュージシャン好きの自分としては、ラリーがいたことで、ポップス好きな中学生の頃のヒットグループのブレッドから見方が変わったくらいだ
ブレッドになってからのメロディアスな後世に残る名曲を沢山作曲していたデヴィッド・ゲイツとラリー・ネクテルがいたグループがブレッドだったのだ
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ブレッドでは全米ナンバー1になった「二人の架け橋(Make It With You)」は名曲だけあってカバーが非常に多く、オリジナルに匹敵するほどの名曲のカバーも多い
「二人の架け橋(Make It With You)」は圧倒的にソウル系のアーティストのカバーが多いのだが、そう言う意味でもオリジナルはソフトなメロディアスな曲だったが、魂を揺さぶる熱唱型のソウルバラードにも向いていた曲とも言える
先ず大御所のアレサ・フランクリン。71年の名盤「Live at the Fillmore West」からの熱唱、ビリー・プレストンの素晴らしいオルガンと観客と一体となったライヴの雰囲気が凄く良い、ブレッドがヒットさせたからライヴで取り上げたのだと思うけど、オリジナルがソフトロックの曲とは思えないほどとってもソウルフルだ
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次はコーラス・グループのザ・デルズ。こちらはストリングスとホーンが入った洒落たアレンジの曲で、あのチャールズ・ステップニーがプロデュース、アレンジを担当したシカゴ録音のアルバム「Freedom Means....」からの曲
コーラスがあのロータリー・コネクションもプロデュースしていたソフトロック風な、いかにもチャールズ好みのアレンジ
フィル・アップチャーチのベース及びギター、そしてテリー・キャリアーもギターで参加しているアルバムである
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今度は男性シンガーでロニー・ダイソンのヴァージョン。トム・ベルがアレンジを担当しているが、当然シグマ録音だと思うがストリングスが入ったフィリーらしいアレンジの曲ではなく演奏はとてもシンプルだし、この曲に関しては自分としては凄く印象に残るような出来の曲ではないと思う
70年に出したアルバム「(If You Let Me Make Love To You Then) Why Can't I Touch You?」からの曲で結構早く「二人の架け橋(Make It With You)」をカバーした方だと思う
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次はソウルヴォーカルグループのザ・メイン・イングレディエントのヴァージョン。70年のアルバム「Tasteful Soul」からの曲。バート・デ・コトーのアレンジである意味オリジナルに結構近いソフトなアレンジで歌われている
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ジャズ系ソウルフル女性シンガーのナンシー・ウィルソンのヴァージョンは華やかでショー風なアレンジ。アレンジは先のロニー・ダイソンと同じくトム・ベルなのだが、ロニーの曲の感じとは全然違った仕上がりだ
70年のアルバム「Now I'm a Woman」に入っている。このアルバムはソウルやポップスの曲を多数カバーしている
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そして今回紹介する中でも一番とも言える出来の、大物アース・ウィンド&ファイアーのヴァージョン。フィリップ・ベイリーのファルセットヴォイスとメンバーのコーラス、そしてこの当時グループに在籍していたロニー・ロウズのソプラノサックスが耳に残る。
アースのコロンビアでのデビューアルバム「Last Days and Time」に入っている曲だが、決して泥臭くなくアースらしいコーラスが入った、リズミカルなアースサウンドで素晴らしい!
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ソウル系ではあとウィスパーズのヴァージョンとかも持っているけど、聴きやすいポップソウルって感じだし、ルビー・ウィルソンと言う余り有名じゃない女性ソウルシンガーのヴァージョンはスローなポップバラード風って感じだ。
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そしてジャズ系でも結構この曲のカバーもあって(ジャズと言ってもモダン系じゃなくソウルジャズって感じですが)
先ずオルガンジャズから、「レア・グルーヴA to Z」の本でも取り上げられていた、オルガンプレイヤーのシーザー・フレイジャーの72年のアルバム「ヘイル・シーザー」でカバーしている。
通常はオルガントリオの演奏はベースレスが基本なのだが、このアルバムではゴードン・エドワーズのベースが入って、アイドリス・ムハマッドのドラムとメルヴィン・スパークスのギター、そしてバディ・コールドウェルのコンガのトリオ+ベース+コンガの編成の演奏になっている。
クインシー・ジョーンズ、アイザック・ヘイズ、スライ&ザ・ファミリー・ストーン等の曲をカバーしている非常にソウルフルなアルバムだ。「二人の架け橋(Make It With You)」のカバーはとても軽快でコンガが入っていることによって泥臭くなくホーンも入っているので垢抜けた演奏だ。
参考にもう1枚「レア・グルーヴA to Z」で取り上げられていた、彼のアルバム「’75」も良いアルバムで、こちらはバーナード・パーディーとジミー・ヤングのドラム、ウィルバー・バスコムのベース、コーネル・デュプリー、デヴィッド・スピノザ、ジョン・トロペイ、リッチー・レスニコフのギター、そしてホレス・オットーのエレピ等で、レアグルーヴ系やソウルジャズ系が好きな人には最高の面子の良いアルバムにこちらもなっている。
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同じく「レア・グルーヴA to Z」で取り上げられていた、アール・カーター&ザ・ファンタスティック6の74年のアルバムのタイトルアルバムでもカバーしているが、カウベル他パーカッションの味付けとエレピのリズミカルな演奏でこれもまぁまぁの出来でソウルジャズでも聴き易いヴァージョンだ
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あともう少しソウルよりのものだと、メイシオとメルヴィン・パーカーの兄弟が結成したグループ、メイシオ&オール・ザ・キングス・メンが72年のアルバム「Funky Music Machine」でもカバーしているし、ヤング・ホルト・アンリミテッドの71年のアルバム「Born Again」の中でも「二人の架け橋(Make It With You)」をカバーしている。
ヤング・ホルト・アンリミテッドの方はリチャード・エヴァンスがアレンジを担当して、キャッシュ・マッコールのギターがフューチャーされた、ラウンジ風のアレンジの洒落た演奏になっていてとても良い
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極めつけはラサーン・ローランド・カークのヴァージョン!72年のアルバム「ブラックナス」からの演奏。パーディーのドラムとリチャード・ティーの弾くエレピはそんなに泥臭くないのだが、カークのサックスはそんなに異質な演奏でもないけどやはり凄みがある。
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「二人の架け橋(Make It With You)」はブレッドのヴァージョンがヒットしてから、割と多くのアーティストが早々とカバーしている。と言う事はやはり楽曲が凄く良かったと言うことと、スティーヴン・スティルスの「Love the One You're With」のように白人の曲でも黒人の心に響くメロディがあった曲と言う事だと思う。
デヴィッド・ゲイツはブレッドのあとソロになってからも良い曲を書いていた。「Never Let Her Go」なんて、とても哀愁があって今聴いても良い曲だとしみじみ思う曲だ。

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相変わらずの音楽三昧 [音楽]

最近はシリーズものが(最近と言っても数年前からではあるが)消費税込みで1080円で出ているものが多くて、本当にまとめ買いをしている


あの時代に買いそびれたアルバム、ジャケットや出ていたことは知っているが、中身を全然聴いたことが無いアルバム、そして出ていたことも全然知らなかったアルバムなど、今頃になってやっと手に入れられることになり、先にCDで購入していてダブりにならないもの以外は20枚、30枚とシリーズごとでドーンと購入している


中にはレコードで持っていても、アナログ入力してデジタルファイル化する手間を考えれば「ダブっても良いや!」って思って買っちゃったりして、まぁ~お求め易い価格設定でCD化してもらって助かっている


その中でもジャズとソウルもののシリーズが圧倒的に多いので、まぁ~殆ど買っているってのが正解w


自分は自慢じゃないが、当時のディスコでも十年ほど前のクラブでも、一度も踊ったことが無いw


これだけ音楽好きで、ましてはディスコ系ミュージックも大好きだったのに踊れないんですw


当時はDJの前でかけるレコード(ディスク、今で言う皿)を一生懸命見ていたし、本音としては本当は女性も好きなのでナンパもしたかったのだがw、見た目もそんなナンパ師とは程遠い容姿だったし、かといって見るからに踊れる服装でもないし、地味とまではいかないが普通の大学生がディスコで音楽を聴いていると言う感じだったw


だからとてもディスコミュージック好きの流行を追っているお洒落な男でもなかったのだが、心の中では「お前らより音楽知っているんだぞ!ディスコだって流行りものじゃなくて、本場のアメリカものの通なところを俺は聴いて知っているんだぞ!」と、勝手に自己満足の自尊心を持っていたw


まぁ~80年代に入り洋楽から一時離れて行った時、当時はディスコもマンネリ気味でユーロビートやら、シンセサイザー主体のビートになり始めて自分も飽きていたので、この頃のディスコ好きに色々通なところを言われても分からないものもかなりあるのですが、


まぁ~やはりアナログの演奏主体からシンセサイザー中心のリズム主体の音楽になり、ソウルもディスコもポップミュージックも飽きを感じさせる退屈なサウンドになったのだと思っている


今でもソウル系、特にダンス系ミュージックは83年辺りまではかろうじて聴けるので、今でもそれこそCDで買いなおしているものもあるが、それ以降のものは買う気にならない(勿論例外もあるが)


山下達郎さんもよく言っているけど、やっぱり流行を追っている音楽は後から聴くと古臭く感じるんだよね。だからいつまで古臭さを感じない音楽とはやはり時代に流されない独自の音楽感で音楽を作るということ


それもやはりデジタル、シンセものの音はメインにしないということ。何度も言っているが自分は楽器が弾けないので、やはり楽器が演奏出来る人を特別の才能だと思って(プロは当然ですが)見ているし、そう言う生の演奏の音で感動させてもらいたいとも思っているので、やはりアナログ楽器主体の演奏で音楽を創作して欲しいと思っている


自分が当時から好きだった、ジャズ、ロック、ソウル系のミュージシャン、アーティストはどんどん亡くなっている ジャズ系なんてもう本当にあの当時リアルで活躍していた人はもう数えるくらいの数になっているし、ソウルもロックも毎年、あの頃心をときめかされた人達が亡くなっている


今でも、その当時活躍したミュージシャンのソロとかを聴いていても、特に亡くなった人などは涙が出てくる。ユーチューブで見ていても、「もうこの人はいないんだなぁ~」と思うと。こみ上げて来るものがあるし、ユーチューブを見終わって、自分で感動で拍手までしてしまっているw


まぁ~こんなに独りで盛り上がっている人もそうはいないだろうなw


特にテーマらしきものもなく久し振りに記事を書いているので、これといったものが無いのだが、


とりあえず山下達郎さんのコンサートは申し込んだ。二日分の申し込みをしたが、1日だけでも当たって欲しい


先日、あるところで達郎さんのコメント書くところで書いたが、やっぱり思った通りだね。


やっぱり達郎さんの熱狂的なファンは洋楽なんて全然詳しくないよ。まぁ~詳しくなくても良いのだが、本当に彼らがサンソンを聴いている意味が理解出来ないね(殆ど洋楽が分からない人も結構いる)


ずーっと最近はギター特集でかなりマニアックな曲もかけていたけど、ロックでも有名な人なら洋楽好きなら分かるかもしれないけど、やっぱりタイトル通りのオールディーズの番組なので、達郎さんのリアルタイム時代の60年代~70年代は相当洋楽が詳しくて好きな人じゃないと、達郎さんのかける音楽、ミュージシャンは分からないだろうね


来週はジャズロック特集だそうだ


自分の好きなところってこともあるので楽しみにしている。


定番のB,S&T、チェイス、ライトハウス 辺りはかかりそう


B,S & T.jpgChase.jpgLighthouse.jpg


マニアックなところでは、ドリームス、イレヴンスハウス、ハミングバード、ブライアン・オーガー

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超マニアックなところでは、ブレスレン、ホワイト・エレファント 辺りがかかると思っている

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ライトハウスとハミングバードは絶対かかると読んでいるのだが、どうなるだろう?


楽しみだな












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ドラマー [音楽]

何かきっかけがあると結構書きたくなる


前回、アーチエネミーのところで、ドラマーのダニエル・アーランドソンのことを書いていたが、改めて彼がライヴでソロをしていたらどうなんだったろうということで、ユーチューブで見てみた


ダブルバスドラでの正確なキック


ブラストビートと呼ばれる、機関銃のような連続ビート!まぁ~よくも疲れないものだ と、感心するが、


そんなレベルの話でわない


ジャズ系やソウル系では先ず見られない(聴かれない)ビート、自分はメタル系の音楽の特にそこに惹かれる。


楽器が出来ない自分はどんな楽器のミュージシャンにも、音楽を聴いていて「これどうやって演奏しているのだろう?」「ここ凄くカッコイイフレーズだな!決まってる!」等と思いながら、やはり中々凡人が出来ないテクニックとか、人を魅了する演奏、間の取り方、なんかも気にしながら意識して音楽を聴く時も結構ある。


そんな中でも自分はドラムとベースのリズム楽器に特に惹かれる。


ギターとかはアルバムなどのレコーディングの音源でかなりギタリストの魅力は伝わってくると思うが、ドラムはステージで生の演奏を見たら、その凄さが倍増して伝わってくると思う。


ギタリストも当然そうなのだが、生の演奏をマジかで見て視覚的なカッコ良さと演奏力が分かると思うが、ドラムの場合はレコーディングの音源だけでは伝わらない視覚的なカッコ良さとテクニックが生の演奏で十分過ぎるくらい観客に伝わると思うし、


ドラマーの魅力はやはり生で観なければ!と言う思いが自分としてはある。


ドラマーはやはりリズム楽器として、どんなジャンルでもやはりグルーヴさせることが基本だと思うが、


特にロック系は正確無比なタイム感が必要だと思うから、ジャズやソウルのように演奏の経験や生まれ持ったリズム感で生み出されるグルーヴ感よりも基本が大事だと素人ながら思う


そう言う意味ではロックドラマーは基本中の基本を学んでなければ出来ないのだと思うが、そんな中であのような超人的なブラストビートを叩き出すのは相当な練習と体力がないと無理だと思う


今は亡きドラマーの青山純さんの生徒を教えているドラムの練習ビデオを見たことがあるが、ずーっと同じビートを狂わさずに叩かせる練習のビデオなのだが、


ジャズやソウル等のフィーリングと経験で養われるグルーヴ感を出す練習以上に、ある意味相当難しい練習だと思う。


まぁ~色んなジャンルの音楽が好きな自分としては、ジャズでもソウルでもロックでも、全く楽器が出来ない自分の立場で音楽を聴く時は、テクニックをベースにして経験とフィーリングで養われた演奏、凡人が中々出来ないことが出来る所謂プロとしての演奏に凄く惹かれる。


それはスポーツ選手でも将棋の棋士でも同じだ。


やはりプロとして生まれ持った才能の上に並々ならぬ努力と練習で培ったテクニックを披露して人々を魅了することは凄い事だと思う。


そう思いながらでも、自分はアマチュアとして楽器を楽しんでいる人達も羨ましく思っているのだが、楽器を弾けなかった分、色んな音楽に興味を持って聴いてこれたから音楽の視野も広がったと、自分自身で勝手に納得している(笑)


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自分の音楽歴で外せない流れ [音楽]

先に書いたように、音楽雑誌ミュージックライフを毎月購入していたのだが、ミュージックライフにはアメリカのチャート誌、キャッシュ・ボックスとビルボードのチャート、それとイギリスのニューミュージカルエキスプレスとメロディメーカーのチャートを載せていたページがあった。


ミュージックライフのレコード紹介の時、殆どの曲は今チャート急上昇中とか、全米1位!とか書いて紹介されていた。


そうなると自分としても次第にチャートと言うものに興味が湧くようになっていった。


それと当時はラジオでも順位的な音楽番組が結構あって、良く聴いていた番組でも毎週、ビルボード、キャッシュボックスのチャートを発表していた。


それで、日本で未だヒットしていない曲のことや日本でヒットしなくてもアメリカでヒットすることがいかに凄いことなのかと言うことが分かっていって、どんどんアメリカン・チャートに興味が惹かれて行った。


その頃はシェールの「悲しきジプシー」、アイザック・ヘイズの「黒いジャガー」、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの「ファミリ・フェアー」が全米1位になったことは何となく分かっていたし、その後に続く1位曲も日本でヒットしていた曲だったので殆ど知っている曲ばかりだった。


そんな中で、マック・デイヴィスの「愛は心に深く」、チャック・ベリーの「マイ・ディンガリン」、ジョ二ー・ナッシュの後にレゲエの名曲となる「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」など、日本で余りヒットしない曲などが全米ナンバー1になった曲もあって、これは日本でヒットした曲ばかり追いかけていてもダメなんだな~と思い


カーリー・サイモンの「うつろな愛」が1位になった頃から、ラジオ番組で毎週発表していたビルボードチャートを(トップ10のみ)ノートに付けるようになり、後にラジオ関東の湯川れい子さんの「全米トップ40」の放送を毎週欠かさず聴いてノートに必死になって付ける流れになって行くのである。


その流れの中で自分が強く惹かれた2曲のソウルの名曲


アイザック・ヘイズの「黒いジャガー」とビリー・ポールの「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」


この2曲を知ったお陰でソウルに俄然惹かれていくことになる。


だけど実際、当時はこの2曲のシングルをリアルタイムでは買っていなかったのだが(後からベスト盤とかで買った)、インストなんだけど、なんだかとにかくカッコイイ!アイザックへイズの低い語りのようなヴォーカルなんだけど、曲として全体の構成と展開がとにかく今までなかったような曲に感じられた(まぁ~映画曲だったのだから当たり前なんだけど)


そして当時テレビで観たアカデミー賞でのアイザックへイズのパフォーマンスが決定的になる!(実際この曲はアカデミー主題歌賞を受賞)バックで踊るダンサーとアイザックの演奏と歌が凄くマッチしていて ソウルって凄くカッコイイなぁ~と分かったのだった。


一方、「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」は前者とは違い、甘いバラードで、その時は不倫の歌とはガキには全然分からずに聴いていた曲だったのだが(まぁ~タイトルで考えれば、何となくそう言う意味だったのか!と大人になって気付くことになるw)、とにかくストリングスが美しい(MFSB、最高!正にグレート!)


チャイ・ライツの「オー・ガール」とはまた違ったソウルバラードの美しさを感じた曲だった。


この曲でフィラデルフィア・サウンドを知ることになり、時代も正にソウルはフィリーの時代になって行くのだが、自分のソウル好きの原点になった曲だった。


黒いジャガー.jpgミー・アンド・ミセス・ジョーンズ.jpg


最初に買った洋楽のレコード [音楽]

洋楽に興味を持ち、大好きになっていった経緯は


中学生の時に同級生の家に遊びに行き、その同級生のお兄さんが聴いていた、ドーンの「ノックは3回」、スリードッグナイトの「喜びの世界」、1910フルーツガム・カンパニーの「サイモンセッズ」を聴かせてもらった事だ。


それから洋楽の虜になり、ポータブルラジオを購入し、ラジオ放送、深夜放送を聴くようになり、洋楽にのめり込んで行った。


そしてレコードが欲しくなり洋楽のレコードをいきなりシングル5枚をまとめて買った。


カーペンターズ「スーパースター」


グラスルーツ「恋は二人のハーモニー」


パートリッジ・ファミリー「夢見るデビット」


チェイス「黒い炎」


スピナッチ「アメリカ・アメリカ」


カーペンターズは説明不要だと思うが、グラスルーツも60年代後半から70年代初期にダンヒルサウンドとしてアメリカンヒットチャートを賑わしたグループ。


パートリッジ・ファミリーは当時日本でもTV放映していたアメリカのテレビドラマから出て来たアイドルグループで、マイケル・ジャクソン、ダニー・オズモンドと並んで、当時アイドル御三家と言われたデヴィッド・キャシディがいたグループ。


チェイスは元ウディ・ハーマン楽団のリードトランペッターだったビル・チェイスが作ったロックバンドで、ビルは後にチェイスのツアー中に飛行機事故で亡くなる


最後のスピナッチは70年代後半から80年代初めに一世を風靡した、ピート・ベロッティと共にドナサマーを筆頭としたミュンヘン・サウンドのパイオニアの一人のジョルジオ・モロダーがいたポップデュオグループ


この中でもやはり「黒い炎」は今聴いても永遠に残るブラスロックの名曲だ


恋は二人のハーモニー.jpg夢見るデビット.jpg黒い炎.jpgアメリカアメリカ.jpg


音楽配信 マイフェイバリット・洋楽&邦楽 [音楽]

カッコイイ音楽と言う事で、レアグルーヴ、ソウル、ジャズ、AOR、ニューミュージック、シティミュージック、のジャンルから選曲してます。


有名曲から、かなりマイナー曲まで、アルバムから選曲してランダムで流してます。


モダンジャズ、ジャズヴォーカル、ムード系イージーリスニング


そしてロック、ポップミュージックは またそれぞれ別のジャンルとして配信出来ればと思ってます。


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