アレサ・フランクリン [Soul]
とうとう、この日が来てしまった
続けてブログを書いて投稿している時に訃報が入ってきた。
アレサの訃報を聞いてブログに書く人も結構いると思うけど、自分も書いておきたい
アレサへの思いはソウル女性シンガーで言えば、自分は一番強かったかもしれない。
CDとレコードでダブりも含めたら、ベスト盤も入れてアルバム40枚くらい揃えて持っている。
デビュー時のジャズっぽいレイ・ブライアント・トリオのアルバムを含んだコロンビア・レーベルでのアルバムはかなり後から買ったけど、アトランティック時代のアルバムは70年代の2枚だけ持ってないのがあるが、あとは全て持っている。アリスタ時代は7枚かな
アレサは60年代半ば以降にアトランティックに行ってから売れ始めて、ソウルの女王としてのポジションを確立していくのだけど、自分としてはやっぱり70年代の時代の時の方がピンと来るし好きな曲も多い
アルバム「Live at Fillmore West」は名盤だと思うけど、やっぱりゴスペル色が強いアルバムだ。「Young, Gifted and Black」もゴスペル色が強いアルバムだけど、その中の「デイ・ドリーミン」がたまらなく好きだ。
彼女の曲で1番好きな曲と言っていいほどで、もうイントロからの浮揚感漂うダニー・ハザウェイのエレピ、そしてこの曲に欠かせない効果を生んでいるヒューバート・ロウズのフルート、パーディのリムショットのリズムとレイニーのベース、デュプリーのギターと黄金のリズム隊だ。
なんかこの曲を聴きながらアレサが亡くなったことを思うと本当に涙が出てくる。どんどんあの当時のスターが、自分の思い出のアーティストが亡くなっていく・・・
アルバム単位で好きなアルバムは1974年作の「Let Me in Your Life」かな、ビル・ウィザーズ作のアルバムタイトルの1曲目から言うことなし!この曲は通常のリズム隊と違って、リック・マロッタのドラムと、あのスタンリー・クラークのベース、そしてスピノザのギターなのだが、スタンリー・クラークの重いベース音が耳に残り、それに華麗にデオダートがアレンジしたストリングスが被さってくる。リチャード・ティーのピアノは結構耳に残るが、それに比べてボブ・ジェームスの弾くオルガンが余り目立たなく入っていたりして、ちょっと異色な組み合わせの豪華メンバーの競演って感じ。
3曲目のアシュフォード&シンプソン作の「Ain't Nothing Like the Real Thing」マーヴィン・ゲイとタミー・テレルの曲のカバーをアレサは大熱唱している。この曲も1曲目のミュージシャンとほぼ同じ構成にダニーのキーボードが加わる。ストリングスアレンジはウィリアム・イートンだ アレサのしんみりと歌う熱唱型のバラードはやはり心にジーンと響く。
そしてこのアルバムには前記の「デイ・ドリーミン」と自分としては1、2位を争う名曲「Until You Come Back to Me (That's What I'm Gonna Do)(邦題「待ちこがれて」)」が入っている。ご存知のスティーヴィーのカバー曲だ。パーディ、レイニーのリズムに、ダニーのエレピとヒュー・マクラッケンのリズムギターが絡み、ジョー・ファレルのフルートが被さる
自分としては先に書いた「Ain't Nothing Like the Real Thing」のカバーと同じくらい何度聴いても飽きないアレサのカバーの名曲だ。
アルバム全曲の解説をしたいところだが、未だ違う曲の事も書きたいので次に行くけど、このアルバムは全曲自分のお気に入りだ。
他にアレサのマイフェイバリットソングはクインシー・ジョーンズがプロデュースしたアルバム「Hey Now Hey (The Other Side of the Sky)」に入っている「Angel」アレンジもクインシーがしている美しいバラード。アレサの妹のキャロリン・フランクリンと、あの名曲の「ソウルフル・ストラット」をユージン・レコードと共に書いたソニー・サンダースと共作して出来た作品。
バックはアルバムとしてロジャー・ホーキンスやジミー・ジョンソン、スプナー・オールダムのマッスル・ショールズでお馴染みのメンバーとかジェリー・ジェイモットとか参加しているみたいだが、LAで録音されているみたいなので、アラバマから連れて来たのだろうか?
サックスソロはリターン・トゥ・フォーエヴァーやCTIレーベルでの活動が有名なジャズプレイヤーのジョー・ファレルだ それ以外の詳細クレジットは各曲目で出ていないので残念ながら分からない。
次はディスコ時期にアレサも例外なく制作された 全曲ではないがアルバムの殆どをプロデュースしたのはヴァン・マッコイで、アルバム「ラ・ディーヴァ」アルバムタイトル曲みたくディスコっぽい曲もあったが、そんな流行りのディスコビートばかりのやはりアルバムではなく、ミディアムナンバーの良い曲も入っていた
その中で自分の好きな曲は「I Was Made for You」アレサの最初の息子であるクラーレンス・フランクリンが書いた曲で、哀愁のある曲調のストリングスとリチャード・ティーの弾くエレピが良い感じだ。
バックのレコーディングメンバーはヴァン・マッコイと関係の深いゴードン・エドワーズを始めとしたスタッフのメンバーが主に参加している(ドラムはガッドじゃなく、クリス・パーカー)
最後はジャズのスタンダード・ナンバーから1曲 コロンビア時代の1965年のNYのライヴアルバム「 Yeah!!!」から スティーヴ・アレン作の有名曲「This Could Be the Start of Something」 有名なミュージシャンはギタリストのケニー・バレルだけだけど、トリオをバックにアレサが軽快に歌う
アレサがアトランティックでスターになる前のコロンビア時代は会社の方針でアレサをジャズのスタンダードナンバーを中心に歌うジャズ系シンガーに仕立てて売り出そうとして成功はしなかったが、やはりアレサは歌唱力が抜群だったのでジャズも当然歌えた。
幼い頃からゴスペルを歌っていたから 歌唱力が当然身に付いて行ったと思うし、ゴスペル出身のソウルシンガーも多い中で、名プロデューサーのジェリー・ウェクスラーの方針と時代が丁度良くタイミングが合ったから、アレサはスターになれたと思う
また一人自分の好きだったアーティストが去ってしまった
上原ユカリ裕さん [邦楽]
何か乗って来たって気分で、書いてます
日本人の好きなドラマーもいっぱいいる
自分としてはやはりセッション系の人ばかりになるのだが、山木秀夫さんは一度も生で観たこと無いけど、凄いドラマーだと思う。
ポンタさんは一度エポのコンサートのバックで観てる。ポンタさんは日本の音楽業界、スタジオ業界を引っ張って来た人だけど、素人目から見ても堅実なリズムをキープ出来る、もちろんテクニシャンなドラマーだと思うけど、余り華があるようなドラマーとは思えない。
ポンタさんは勿論スタジオミュージシャンとして何でも無難に叩けるドラマーなんだけど、例えば、スティーヴ・ガッドがディスコ系で一定のビートを同じように正確に叩けるのも、フュージョン系でどんなリズムも正確に叩けるのも、やはりガッドのテクニックが凄いのは分かる。
でもガッドが4ビートをやるとなんか無難と言うか、正確すぎて4ビートのノリのグルーヴ感って余り感じなくて面白くない。ポンタさんもジャズはそう言うところがあると思うし、やはりガッドと同じくポップ系やフュージョン系に強いドラマーだったのだと思う(だからと言ってガッドと同じような感じで語れるドラマーではないと思うが・・・)
その点、今は亡き青山純さんはロック系出身のドラマーだけあって、先ずモダン系ジャズの演奏は殆どしたことがなかったのだと思うけど、ビートの力強さと正確さ、そしておかずの入れ方、ハッキリ言ってやっぱり達郎さんの現在のバックドラマーの小笠原さんよりも青山さんの方が迫力はあったと思う。
まぁ~青山さんが偉大過ぎたので、青山さんと比較したら小笠原さんが気の毒だと思うけどね
あとは日本のスタジオドラマーのパイオニア的存在だった石川昌さんを筆頭に、渡嘉敷祐一さんとか、島村英二さん、江口信夫さん、そして70年代、ポンタさんとスタジオセッションの仕事を二分してきた林立夫さん、ちょっとその辺りのグループには入れにくいが、初期はジャズやロック系セッションも多かった つのだ☆ひろさんとか
そしてグループ系出身だった、高橋幸宏さんとか神保彰さん、岡本郭男さん、最近の人は殆ど知らないけど、その中でも玉田豊夢さん、他にもいっぱいいると思うが、その辺りが頭に浮かんでくる。
その中でもやはり達郎さんと結びつきが強かったドラマーの上原ユカリ裕さん
上原さんは大瀧さんにも重宝がられて大瀧さんのレコーディングにも必ず参加していた人だ。
その上原さんなのだが、その上原さんが忙しいくらい活躍していた時代じゃなく、かなり後に自分が知ったのだったが、
なんと!上原さんは、あの伝説的なロックバンドの村八分のドラマーだった!ということを知ってびっくりした。
自分は勿論、当時から村八分の事は知っていたが、日本のロックだったし、いかにもアンダーグラウンド風で危なさそうで、外道とかと同じくレコードを聴くようなことはなかったのだが(村八分のファンは外道と一緒にしたら怒ると思うがw)
上原さんがシュガーベイブに参加していたことを思うと、余りにもかけ離れた経歴と言う感じがして、自分としては最初は理解出来なかったほどだった
村八分とシュガーベイブは正に180度違う音楽だと思っていたし、現に村八分の山口冨士夫だったか青木真一に、上原さんがシュガーベイブに行ってしまったことを非難されていたはず。
でも達郎さんは音楽性はシュガーベイブとかなり違っていても、村八分の事は当時も今も理解していたと思う。
AC/DCもフリージャズも聴く達郎さんなら、ハードなものや当時のアンダーグラウンド的なアナーキーな音楽、アバンギャルドなものまでも理解していたはず。
前に音楽チャットで山口富士夫つながりで裸のラリーズを聴かせてもらったことがある。関西の人でロック系が大好きな音楽好きな人だったが、とても興味深かった。
当時のロックの創成期に(それもハード系)、GSの流れからこのようにハードなノイジーな音楽としてアンダーグラウンドに流れて行って生まれて来た音楽として、音楽史を考えても十分自分としても理解出来る。
ユーチューブで上原さんが村八分で叩いていた演奏を聴いたことがあるが、リズムの正確さのタイム感、ビートの力強さを聴いて、とても荒れたロックバンドのドラマーとは思えないほどのテクニックの持ち主だったと分かる
上原さんはやはり当時から関西ではものすごいテクニックのドラマーとして有名だったそうで、大瀧さんに認められたのも良く分かる。
70年代初期及び70年代になる前はジャズ系出身のスタジオドラマーが殆どだったと思うが、70年代に入ってからポンタさんとか上原さんのようにロック、フォーク系のバックで演奏していたドラマーでもテクニックがあれば十分スタジオミュージシャンになれた時代がやってきて、青山さんに繋がって行ったんだと思う。
上原さんはシュガーベイブのあと、スタジオの仕事も多かったが沢田研二のバックでも演奏していたが、村八分の名残もあったせいか、かなり派手なビジュアル系の化粧や衣装だった記憶もある。
先にも言っていたように達郎さんのレコーディングでの「ソリッド・スライダー」「レッツ・ダンス・ベイビー」「ボンバー」「ファンキー・フラッシン」などの名曲が上原さんの名演によって生まれたと言っても過言ではない。